2021年10月10日

気象予報

今年のノーベル物理学賞を受賞した米国プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎氏。その受賞後のインタビューで、何故アメリカに渡ったのか(アメリカ国籍取得)という質問で、当時(1960年代)の日本は同調圧力が強くて自分のやりたい事が出来なかったが、アメリカはそうで無かったから、と言うような回答をされていました。まぁ、確かに今の日本でもそう言う傾向はあるし、それが60年前の日本ならさらに強かっただろうなあというのは正直理解出来るところだけれど、一寸違和感も感じる話し。

当時の様子は分からないし、ましてや当時の学会の様子なんて言うのも分からないから、あくまで想像するしか無いのですが、仮に同調圧力が強い状態だったとして、だからアメリカに渡るという結論もかなりの物だと思います。まだ海外渡航すら大変な時期にアメリカに渡るという決断は、それって当時の状況を考えると「日本を捨てる」くらいの覚悟が無いと出来ないんじゃ無いかと。それだけ酷い圧力があったのかもしれないし、逆に余りそう言う事に拘らない性格・考え方の人だったのかもしれない。今アメリカや海外でビジネスを興して成功している日系人の人って、この頃に渡った人が多いような気がするんですが、それだけバイタリティ溢れる時代だったのかもしれない。

もう一つ「へぇ~」と感心したのは、この件に関してのTLを眺めていたら、実は1960年代は気象情報・気象学というものは重要な軍事情報・軍事技術の一つで、世界的な気象予報活動をしていたのはアメリカくらいしか無かった。だから真鍋先生はアメリカに渡った、と言うような話。今でこそ「天気予報」なんて言うのは、朝のニュースやモーニングショーでからワイドショーに夜のニュース、さらにはスマホでも簡単に調べて知る事が出来る「当たり前」の情報ですが、一寸前まではその精度も高くなかったし、その利用方法としては軍事的な目的が一番多かった時代も。だから、未だに軍隊には気象班みたいな部門もあるし、より高精度な予報をしているわけですしね。そう言う意味で、当時の真鍋先生には渡米する必然があったと言えるのかもしれない。

最近の天気予報は、観測技術や予報技術等技術的な向上もあるだろうけど、やはりそれらの基礎となる理論構築が成熟してきている事が大きいのでは。その陰にはやはりスーパーコンピューターを利用した気候シュミレーションが精度高く簡単にできるようになった事で、色々な想定を試せるようになった事も大きい気がしますね。仮想的に、色々な経験値を積み重ねる事でより豊かな経験を蓄積できるようになったと思います。1960年代のコンピューターと言うと、1964年の東京オリンピックの記録集計システムとして利用されたIBMのSystem/360が代表的なものだと思うんですが、日本ではやっと銀行のオンラインシステムとして導入され始めた程度でも、アメリカの大学でなら利用可能だったんだろうなぁ。真鍋先生の発言は、事実ではあるんだろうけど、それだけの理由でも無いわけで、しかも60年前の日本の状況が今も同じというような誤解誘導させるような切り取りも翻意じゃ無いだろうし。結局は、どんな場合でもメディアの報道に関してはSNSで裏付けを確認してから理解しないといけないという事なんだろうな。

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