2021年10月9日

靴を脱ぐか脱がないか

中国の地下鉄で、靴を脱がずに椅子に上がる子どもの話から、その国の生活文化の違いに関してのtwitterの話。 日本の場合は、明確に「家の外と中」で区切りがあって、その違いの一つが「靴を履くか脱ぐか」もそう。面白いのは、一旦「家の中」に入ると、明確な間仕切りが無い場合が多くて、古い田舎の家だと「壁」というのが外回りしか無くて、内側の部屋は障子とか襖で区切り、場合によっては屏風等でさらに一室を分割する場合も。外と中を靴の有り無しで明確にする分、一旦中に入ると大らかな部分あるのかなと言う気がしますね。

私が大学を卒業して消色したのは、アメリカ系のバリバリの外資系企業で、開発部門という事も有り当時の日本企業と比べても外国人(多くはアメリカ人だったけれど)の姿もよく見ましたが(その殆どは偉いさんだったけれど)、彼らが電話とかするときに椅子に寄りかかって机に土足のまま足を載せる様子だけは、中々慣れませんでした。その後アメリカ出張するようになり、そういう人は向こうでもそんなに多くない事は理解したんですが、でもそう言う姿勢はそんなに珍しい格好ではない。日本時間で同じ事をやろうとしたら、多分靴を脱いでするだろうなぁと言われて、それは凄く納得したんですが。逆に、私などは宿泊していたホテルが長期滞在型のホテルだったので、入口近くに足拭きマットを置いて、そこから土足厳禁にしていましたが、やはりアメリカ人には奇異に感じるみたいでしたね。当時の出張時にはスリッパが欠かせなくて、国際線でもらえたスリッパ(当時はバブル前で、フルフェアのビジネスクラス利用がペーペーの平社員でも利用できた夢のような時代-笑)を使い回す事もありましたねぇ。

その機内でのスリッパなんですが、最近はそれ以外の路線でも提供されるのかもしれないけれど、以前は日本路線特有のサービスだったと思います。一応「機内」というのは「室内」という提議なので、靴を脱いでスリッパに履き替える事は、欧米人にとってもそんなに抵抗はないのかもしれません。勿論、以前だとスリッパを使わず、そのまま靴のまま登場して、たまたま靴を脱ぐと酷い匂いに気を失いそうになった事もありましたが... そう言う意味で、地下鉄とか電車の中で脱ぐ靴と、飛行機とかホテルの部屋の中で脱ぐ靴の意味合いは、ちょっと違うと思います。コロナ禍前等での国際線では、いの一番に靴を脱いで提供されたスリッパに履き替える人も多く見たけれど、やはり週間として履いている靴であっても、それが快適かどうかは別だなぁと当時感じたものです。

地下鉄の中で子どもが椅子の上に上がるときに靴を脱がせるのは、そう言う生活習慣の違いと言うよりも、日本人の場合はやはり土足で椅子を汚してはいけない、という公共精神の表れだと思うんですよね。最近だと、対面式の四人掛けの座席なんかだと、結構いい年の人でも前の座席に土足のまま足を掛けて座っていたり寝ていたりするけれど、ああいうのは変な意味での「海外かぶれ」なんだろうか。親御さんがちゃんとしていたら、子どもの頃に叱られて直していると思うんですが、そうなると親もいい加減だからそれが代々伝わるという事なんだろうか。電車の中で普通に椅子に座る分には、まず靴を脱ぐ人はいないけれど、子どもなどが窓の外を見たくて椅子の上に膝から掛けるときには、靴を脱がないと靴が通路側に飛び出てそこに立った人のズボンとか汚してしまう。場合によっては、そのまま立ちあがったりする場合も有ると椅子も汚れてしまう。毎回靴を脱がすのも大変だろうから、靴カバーみたいな物を持っていて、さっと付けたり外したりするのが一番効果的だと思うんですが、私はそんなに見た事が無いなぁ、靴カバーの利用例は。あれなんかも、日本人的発想のものなんだろうけど。その国の文化や風習で、日本では問題無くてもその国や地域では大問題になる場合もあるわけで、靴の有無というのもそんな類の一つなんだろうけど、ただ層だとしても、日本に居るときには日本の文化や習慣に沿うのが「基本のマナー」だと思うなぁ。まぁ、色々なところに行く機会のある人ならば、そう言う事も何となく身につけていくんだろうけど、たまたま海外旅行しましたみたいな人が、結構こういうことをやっちゃうですよね。だから、多少のお目こぼしも必要とは思うけれど。国際間移動が盛んになる過渡期の問題の一つかも。さらに活発になれば、「人それぞれ」で終わりそうな問題のような気もします。

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