2021年9月17日

言葉は消えても肝心な中身は?

「ひるおび」で火がついた共産党の要綱に関して、仮に「枝野内閣」が誕生したら現在の政府見解を変更するかもと言う記事。 「政府見解」は、政府が決める物で、総理大臣一人で決められる物じゃ無いので、「少なくとも私は、」じゃなくて、「枝野内閣として取り組む課題の一つと理解している」程度の事にしないと、単なる個人的感想にしかならないのでは。

元々の閣議決定にしても、「敵の出方論」という言葉が使われているか否かと言う所が問題では無く、そう言う考え方活動方向は否定されていない、と言う部分が重要なわけで、それが変更されていないと言うのが「政府見解」。ところが肝心の共産とは、「敵の出方論」という表現は今後使わない、というだけで、「そう言う言い方をしていた活動は今後どうする」という肝心なことは何も言っていない。「今後使わない」と言う事は、少なくともこれまでもそして今回使用停止するまでは、そう言う言葉が使われる機会がありそう言う考え方も続いていたわけで、それって政府見解に至った理由・根拠が残っていることを自ら認めたことになると思う。

その共産党、すでに八代英輝弁護士は番組でないで自分の誤解を謝罪し、その発言となった理由「政府見解を誤解」と説明為たけれど、党の共産党は「謝罪になっていない」とお冠のままで、とうとう番組のスポンサーに対してのクレームから、CM提供を一次停止する事態にも。思想の左右関係無く、最近ではネットを利用して、こう言う圧力の掛け方をするのだけれど、これだって「相手がやるなら、こっちもやる」という「的の出方論」に沿った対応そのものじゃ無いのか。少なくとも公党で且つ相手が公開の場で謝罪をしているわけだから、「発言が誤解に基づくものであり、謝罪をしたことは良とするが、今後の発言はより慎重かつ正確な内容に留意して欲しい」とでも言って幕引きにすれば、一寸は評価が高まったと思うのに。自分達は何をやっても良くて、批判は受け入れないという「党是」が有るんじゃ無いかと思うくらい、この人達の行動って無茶苦茶なところがある気がする。それがそのまま「階級闘争」に繋がるのか「社会革命」になるのかは分からないけれど。

今回の件で、共産党としては党の要項が広く世間に認知されて、本来ならば党の広報に役だったと喜んで胃も良いはずなんだろうけど、でもその「要項」の内容を見てみると、言葉遣いは柔らかかったり穏当な言い方をしているけれど、内容的には正直「過激」な自分は感じる内容。実際日本の政党の中で一番ネットを活用しているのは共産党じゃ無いかという気がしているけれど、それだけ組織力も堅固なわけで、それが個人的には「恐い」理由の一つでもあるんですよね。言葉も大切だけれど、やはり日々見える活動・行動でちゃんと説得されるようにならないと、党勢もそうだけれど、その考え方や活動方針も理解されないし受け入れられないと思う。それでも、選挙のためなら手を握りますという人達がいるから世の中分からないのだけれど。

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