2021年7月21日

過去の行いと償い

ミュージシャンの小山田圭吾氏が、過去の発言に関して批判が広がり、結局辞任することに。さらに、東京オリ・パライベントに出演予定だった絵本作家ののぶみ氏も、過去の発言から参加辞退することに。改めて発掘されている過去の発言を斜め見しましたが、まぁ批判されても仕方が無いという気はするけれど、例えば小山田氏は20年以上前に発言した学生時代の話だったりするわけで、それを今取り上げるのもどうか言う気もします。

私自身は、小山田氏の作品も知らないし聞いたことも無いのだけれど、国際的にも結構有名なアーティストさんらしい。国内だけで無く、海外での評価も高いのであれば、それは一部ファンだけの評価では無く、それなりに認められているものと考えて良いのでは。で、それだけ評価される作品を生み出していることと、過去のそう言う行動を比較してみて、その不適切な発言や行動を償うだけの価値が今の活動や作品にあるかどうかを冷静に判断してみることが必要じゃないだろうか。勿論、有名になればなるほど社会的な責任というものも分野を問わず要求されてくると思うから、その分の重みというかバイアスは掛かると思うけれど、過去の行いを反省して謝罪して、それを補う以上の事が今現在あるのであれば、それは「過去」では無く「現在」や「将来」を見て判断されるべきだと思う。

個人的にはネットが一般化してきた2000年代以降の傾向だと思うんですが、寛容さとか是々非々とか、そう言う「余裕」と言うとちょっと違うのかもしれないけれど、白か黒かの二択ではない、もやっとした何となく納得出来る、何となる許せる、みたいな事が急激に無くなってきた気がします。勿論、そう言う曖昧さが時には問題になることもあるんだけれど、今回のようにいつまでたっても過去の発言や行動が問題視されるとなると、例えば犯罪を犯して裁判を受けて、刑期を満了して償った人も許せないという事になってしまう。まぁ、実際にはそう言う事は昔から有るんだけれど、そう言う裁判の結果が出ているわけでも無い様な場合でも、今回の様に一気に炎上していくのは、何て言うかネット時代の現代病みたいなところも有るんじゃ無いだろうか。

彼らのそう言う発言や行動は、以前から問題として指摘されていたとも聞くので、昨日供給に発覚した話では無いことは確か。となれば、彼らをそう言うポジションに決定した任命者というか責任者の説明が、まずはあってもいいんじゃ無いかと。武藤事務総長のこの説明を見ると、大元の推薦をしてきた人間・組織のちゃんとした説明を聞きたいと思うけれど、多分そこに至るにはていろいろな大人の事情が絡み合っていて表には出せない話も多いのかもしれない。自分が意図せずとも、過去の履歴が色々な形で残っていき、それが第三者によって発掘されて行くことで、本人すら忘れている過去が暴露されるリスクがある現在。ネットリテラシーと言ってしまえばそれまでだけれど、以前よりも閉鎖的な行動様式を身につけることは必要でしょうね。勿論、誰からも後ろ指指されることの無い普通の生活をしている多くの人にとっては、そんなことを特に意識する必要も無いのだけれど、それってその時には問題なくても、将来的には大問題になる可能性がありますからね。例えば、過去の喫煙のことを書いた記事が、未来では「不法行為」として糾弾されるかもしれない。そうなったとしても、その時代では適法であり、現在では今のルールに従っているから問題無い、と申し開きできれば不問に付されるという事もちゃんと適用されるべき。小山田氏の過去の発言が良いとは決して思わないけれど、20年間の彼の積み重ねと比較して今のようなバッシングを受けるほどなのかという冷静な判断が無いことが、より問題だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿