最近は、以前ほど面白みが減ってきた感じがするけれど、それでもカトパン見たさに毎週観ている「ホンマでっか!?TV」(笑)。その中で中心的な回答者である、池田清彦氏は少なくとも男性回答者陣の中では、まぁ信用できる方の人かなと思うんですが、こう言うバイアスの掛かるような言い方をするのはどうだろうか。
「どっちが正しいのかよくわからない時は、政権の言うことにはとりあえず反対して、それからゆっくり考えましょうね。巧言令色みなインチキって、これだけはほぼ正しいと思います」
この考え方は、二つの点で問題があると思うなぁ。一つは、その論法に沿って考えて、結果結論が政権の言うことに近い事になった場合、それが反対の結論よりも多くなった場合、それでも取りあえず反対しておくことが有益なのか、と言う点。議論の始まりとして、どちらかが正しいと言う想定で始めることは、それは良いと思います。ただし、今回の場合は「政権の言うこと」というさらに大前提があるわけで、それの正誤のうち「誤」を常に「正」としてスタートしても、多くの割合でその始まりの想定とは逆の結論に至るのであれば、元々の始まりの想定を反対にして置く方が、推論過程に置いてはより効率的に結論に至ると思います。せめて言うのであれば、「より少数の利益となる事を正とする」とか「より弱者のためになる事を正とする」ならまだ納得出来るけれど。まぁ、「政権は、常に少数を無視し、弱者を切り捨てる」と言われたら、それまでだけれど。
もう一つ問題だと思うのは、「政権の言うことに疑問を持つことと、反対する事は別物」という事。政権で無くても、仕事の場合でも、相手に反対することは簡単なんですよね。相手の言っていることに含まれていないこととか、スケジュール的に無理なことを言えば、それは相手が簡単には反論できない事象になる。でも、それでは何も進まないわけで、本当にその議論が実になるものにするのであれば、相手の発言・意見の中の疑問点や矛盾点、あるいは曖昧な部分の詳細化に関して追求するべきで、そこで何か不正とか矛盾が明らかになれば、それを理由に反対するべき。だから、政権の言うことに対して常に正しい何て思う必要は無いし、それと同じ理由で常に反対する事も正しくなくて、正しい態度は「常に疑問を持つこと」であり、その疑問を自分なりに解釈して結論を出すことが正しい思考方法だと思う。勿論、その思考過程にバイアスが掛かっていたり、持っている知識や情報が偏れば、偏った結論にしか至らないから、その部分も「結論を出すこと」が目的では無く「疑問を解決するのか」という点で、情報は集めるべきだと思います。
開発の仕事で、検査機器なんかは定期的にキャリブレーション(補正作業)をしないと、測定した値がどんどん変異していって、正しい値を知ることが出来なくなってしまう。それは、一般の生活なんかでも同じで、インプットされる情報に偏りがあると、どんどんそう言うバイアスの元に考えが組み立てられるようになり、結果自分では真っ直ぐ立てたつもりが、外から見るとグニャグニャだったりするわけです。とは言っても、パソコンと違ってCtrl+Alt+DELでリセット出来る分けでも無く、中々考え方を整理しておくことは難しいけれど、それが出来るようにならないと、仕事や生活するなかで困ることに。一番ありがちなのは、自分にとって都合の良い情報を信頼してしまうことでしょうね。あるいは、自分にとって耳障りの良い情報を信用してしまう。言ってみれば、プレゼントを貰うときに、その中身とは関係無く、その包装が豪華だったり、大きな箱だと「嬉しい」と思うのに似ているかも。外側が幾ら豪華だって、中に入っているものがつまらない物の場合も有るわけで、そこをどう見誤らずに生活していくかが、今は問われる時代だと理解しないと。政権の言うことに先ずは反対、と言う考え方は、私的には2000年以前の話だと思います。2000年代になりネットが発達して、良くも悪くも情報が千差万別に流通している今、一番必要な事は、例え自分が知っている話であっても、先ずは疑問を持つことから入り、いかに定量的にあるいは論理的にその疑問が解決されるかで、その疑問に対しての答えが決定されるという事だと思う。そう言う意味で、池田氏の最初の発言自体も「巧言令色」と言えるものじゃないかと思う。
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