2021年3月18日

世界観の違い

東京オリンピック・パラリンピックの開閉開式の企画・演出の統括役である、クリエイティブディレクターの佐々木宏氏が、その演出アイデアの中で、タレントの渡辺直美さんを豚に例えるアイデアを出したとして文春が報じ、その責任を取って辞任したという記事。昨年の3月に、関係者内のLINEでの会話の中での話しらしいけれど、その内容は別にして、何で1年前のしかも限定されたLINEの話が、今頃外に出てきて問題になるのか、そっちの方も問題だと思うのだけれど。この方の経歴を見ると、Softbankの「白戸家シリーズ」を初めとして、サントリーの「BOSS(トミーリージョーンズのシリーズ)」など、変身物・擬人化物のアイデアが得意なのかなと言う気がします。

で、その渡辺直美さんだけれど、ご本人みずから「ぽっちゃり」を売り物にしている所もあるから、その部分を取り上げることは問題では無いと思うんですよね。ただ、そこから「豚」という動物に例えることが問題とされたわけですが、でも最近ではミニブタとかペットにして居る人も多いので、「汚い」「醜い」みたいなネガティブな意味での「豚」とは別に、「丸っこくて可愛い」みたいなポジティブな意味での「ブタ」の意味もあるんですよね。そう言う意味では、単に「豚に例えた」と問題になっているけれど「ブタに例えた」と言う意味ならどうだろうか。

「豚」では無く、同じく大きな動物という意味で、「鯨」とか「象」とかだったら、やはり同じように問題になるだろうか。動物に例えること自体が怪しからんと言うのであれば、人間を人間以外の物に例えることも不謹慎になるだろうし、さらに突き詰めれば、仮に人間同士であっても、本人以外の人に例えることも不謹慎と言う話になってしまう。只今回の場合は、世界的なイベントで注目される場面での演出なのだから、日本のテレビのバラエティー的な演出がそのまま通用すると思うのは甘すぎる考え。増してや、先の森前会長の件もあり寄り敏感になっている時期なのだからと思うけれど、この発言自体が1年前の物だからそう言う状況とは別の話なんですよね。逆に、文春自体がここまで温めていた内容で、森氏の件があったから今「付加価値」を得たニュースになるとも言える。その辺り、メディアのやり口というか、その方法にも疑問を感じるところですが。

日本では「八百万の神」という位、世の中の有機物や無機物、殆ど全ての物に「紙」が宿り擬人化して身近な物として扱うけれど、そう言う文化というか社会背景は日本以外では聞いた記憶がありません。只、そう言う背景が、良くも悪くも人を逆に他のものに「例える」事も結構普通の感覚として子供の頃からやりがちで、その極端な例が最近問題となる「虐め」にも通じるところがあるんじゃ無いかと。そう言う発想が良いか悪いかという事では無く、結局は極端に走るとどんなことでも「過剰=異常」みたいな危険性があるという事だと思う。二昔くらい前なら、その振れ幅の大きい方が、個性とか革新的みたいな感じで評価されていたこともあったけれど、最近では社会的通念みたいな感じで制限がどんどん生まれているから、その部分には敏感にならざるを得ない。佐々木氏は、私よりも年上の人なので、多分そう言う意識が残ったままの部分もあるんじゃ無いだろうか。だからと言って、氏の発言が許されるものでは無いけれど、演出家とかクリエイティブ活動をする人の発想というのは、そう言う「常識」と「非常識」の微妙な境界線を攻めていくことが、ある意味必要な部分もあるんでしょうね。

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