2021年2月8日

見せたいものを見せる

ITmedia荻窪圭氏の記事から、使用するレンズによる様々な効果について。コロナ禍の様子を伝える様々な映像が氾濫するここ最近、何故かほぼ毎日品川駅の港南口の様子がテレビ等で伝えられていて、「非常事態宣言下でも人出は減らず」みたいなコメントともに使われる事が多いのですが、コロナ禍以前の平日朝出社時の様子をよく知っている身としては、「いゃいゃ、あんなもんじゃない」と毎回一人ツッコミを入れている自分。それに、多少なりとも自分で写真特に超望遠レンズを使用して居るので、この手の話に関しては多少の知識と経験もあるし。

よく言われる「望遠レンズを使用した圧縮効果」を知らないと、前後が圧縮されて後の人が前の人の左右の隙間を埋めていくので、どうしても人出が多く出ているように見える様になります。人出だけで無く、暫く前に話題(問題?)になったのは、レインボーブリッジの直ぐ近くを米軍のヘリが飛行して怪しからんと言う写真。確かに、レインボーブリッジの吊り橋の隙間からヘリコプターが大きく見える写真が使用されているんですが、これも前後の距離が圧縮されているため、実際はヘリコプターはレインボーブリッジの向こう側数百メートルの距離を置いて飛行しているのに、恰も直ぐ近くを飛行しているように写真上見えるだけ。多分、実際にその時の様子を見ていれば、そんな危険な飛行をしているとは思わないだろうけど、写真だけ見て判断するとそんな「誤認識」をする方が普通でしょうね。

そう言う意味では、撮影のプロである新聞社とかメディアのカメラパーソンは、その状況を一番良く伝えるような撮影をするべきであるべきなのに、どうしてもその時に欲している「絵作り」が出来るように撮影して使用して居るように感じます。その辺り、メディアは事実を伝えるのでは無く(自分達の)「真実」を伝えたいからと、つい邪推してしまう。実際には三次元の情報である「現場」を、二次元へダウンコンバートして表現するわけだから、確かに元情報の一部が失われることは事実だし、それによって「事実」にバイアスが掛かることも事実。問題なのは、その情報の使用者が、そう言った「歪み」を知りつつその歪みを最少化するのでは無く、その「歪み」を利用して最大の利益を得ようとすることじゃ無いかと。それって、文章で言えば、恣意的な表現とか事実で無い事柄を組み込む高位なわけで、それって「捏造」「虚報」「誤報」と呼ばれる類の物。

これが、例えばドラマとか小説の挿絵とか、フィクション作品の中で使われるのであれば、カメラ機能やレンズ機能を十分に利用して、その作品の世界観を表現する「絵」を作れば良いと思うけれど、ノンフィクションの中にそう言う意図が含まれては、「ノンフィクション」とは言えない。勿論、「ノンフィクション」の中にも演出とか多少の誇張(解釈違い?)は存在するだろうけれど、少なくとも「報道」の世界では許されないことだと思う。ところで、リモート化していく近代社会では、こう言う「カメラの目」を通して「事実」を見るようになるわけですが、そのリスクはどれくらい考慮されているんだろうか。「百聞は一見にしかず」という諺があるけれど、それがそのまま当てはまるリモート化社会じゃ無いだろうか。

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