2020年11月30日

柳の下に泥鰌は居ない

政権交代に関して、立憲民主党の枝野幸男代表が群馬県高崎市での講演で言ったという話。確かに、共和党から民主党にアメリカの大統領が変わったときに、日本では細川政権や、鳩山政権と言った「非自民党政権」が誕生したわけだけれど、アメリカの大統領選挙は、共和党・民主党の二大政党が4年ごとに選挙を戦うわけだから、必ず4年/8年ごとにどちらの政権が誕生するのに対して、日本の場合はその時その時の状況で1年で変わったり、3年で変わったりするわけだから、そこに何らかの相関関係があるとは思えない。

大体「二度あることは三度ある」と、自分達が今度の政権を取ることを言っているけれど、その諺って普通は「悪い事は二度三度と重なる」という意味で使われるんじゃないだろうか。確かに、良い事が続いたときも「三度目もあるかも」と言う事はあるけれど、普通はそれって「まぁ、次は無いな」という意味合いが強い気がする。大体、1回目のクリントン大統領の時は、あれだけスキャンダルがあったのに、一応2期8年務めているのに、細川内閣は1年も持たず(確か自身の政治資金問題で、ある意味政権を投げ出したと言っても良いような退陣だったと思う)さらに後継の羽田内閣は、僅か2ヶ月で総辞職して、そこに社会党の村山富市氏を総理にする、村山内閣が誕生したわけですからね。まぁ、この最初の政権交代の時期というのは、後から考えても迷走していたと思うし、結局混乱だけ残して次の橋本内閣に続くわけだけれど、忘れていけないのは村山内閣の時に、阪神淡路大震災が発生したこと。これは、鳩山内閣の次の菅内閣の時に東日本大震災が起こったことにも繋がるわけで、これこそ三度非自民党政権が誕生したら、また何か大災害が発生するかもしれないという意味で「二度あることは三度ある」と言えるかもしれない。

細川内閣の時には、当時の宮澤内閣や自民党に対して不満や不信感が募っていたことも事実だし、鳩山内閣誕生以前も、小泉内閣の長期政権で浮かれた後に、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と続いて、いずれも1年の短命政権で終わって、この時も自民党に対しての不信感が高まり、「別の政権誕生」に対して期待値が高まっていたわけで、ある意味そういう「熱気」みたいなものが有ったから、選挙でも自民党が敗れて下野したわけですが、今そう言う「熱気」があるかと言われれば、正直全くないと言っても良いわけで、そこでよほどの事が無い限りは来年選挙で立憲民主党が他党と連立を組んで過半数を取るということは、起きないと思う。野党の代表としては、そう言う言い方しか出来ないのかもしれないけれど、明らかに以前の状況とは今は違うわけで、それなのに安易に「来年は非自民政権」とか言うのは、無責任な気がします。

短命に終わった、以前の二回の「非自民党政権」の轍を踏まないように「三度目の正直」にしたいという言い方は、諺の使い方としては正しいけれど、実際今そう言う状況にあるのかと振り替えれば、とてもそんな状態では無い。旧国民民主党の一部と合併して、議員数こそ衆参で151名(衆:108名、参:43名)と野党最大数の議員を擁しているけれど、自民党は395名(衆:283名、参:112名)なわけで、これではお話にならない。しかも、世の中は経済対策やコロナ禍で困っているのに、国会では桜を見る会だとか、モリカケだとか、もう1周2周所か、100周位周回遅れの話を延々と続けている。直前の選挙(参議院選挙)を見ると、旧立憲民主党は公示前9議席だったものが、17議席と倍増近い結果なんですが、現役議員は9→5名と半減して、新人が11名も当選している。中には、年齢的に引退した議員もいたんだろうけど、これって世代交代を支持者は求めているとも受け取れる内容では。世代交代でなくても、新陳代謝が必要な事は事実で、有名(悪名?)な議員はいるんだけれど、それ以外の議員さんは全く目立たない。そう言う意味では、国民民主党の方が、議員数では1/10だけれど内容的にはよほど現状を考えている気がするので、何とか逆にならないだろうかと個人的には思っているのですが。国民民主党は、思い切って自公と連列するくらいの覚悟があって、実際そうなって自分達の政策を1つでも実現したら、凄く世間の評価は変わる気がするんですが。結局、「柳の下に土壌はいない」わけで、「三度目の正直」を期待していても、それが次に来るとは限らないことは自覚するべきでしょうね。

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