2020年10月2日

お札ビジネス

 ITmedia、杉山淳一氏のコラムから、SDGsに傾く鉄道業界の話。実際には色々難しい話はあるんだけれど、このSDGsに関しても、LGBTQ等に関しても、本当にそういう趣旨・目的で活動している人達は別に、そう言う言葉を使うことで免罪符みたいな利益を期待している人も多いことも事実なんじゃないだろうか。

確かに、今実際に実現されていないことを、それなりの労力を掛けて変えていかないといけないわけだから、時間もお金も人手もかかるもの。世の中のトレンドがそうだと言われても、なかなか直ぐに方向修正だったり組織改革するのも難しい。そんな時に、「〇〇」という看板を掲げることで、世間的には「私達は頑張っています」と見せつつ、その間に時間稼ぎをしながら出来るところから改革をして行くというのが現実では。勿論、時間は掛かっても改革していく組織は良いのだけれど、結局看板だけ掲げたら、後はそのままみたいな所も結構多いんじゃ無いだろうか。

少し前に、企業では「IOS-〇〇取得」というのが流行ったけれど、あれだってプロセスの明確化とか役割分担とか、これまで曖昧なまま運用されていた工程を明確にする利益はあると思うんですよね。ただ、そう言うものを作る事と、実際の製造とか生産活動に組み込むことは、またちょっと違うと言う印象も。何て言うか、スポーツ選手が、スポーツのマニュアルだけを理解したら誰でも名選手に慣れるかと言ったら、それは無理なわけで、そう言うやり方を理解した上で、それを実際に自分の動きの中にどう取り入れていくのか、その部分が結構曖昧というか、ブラックボックス化されている気もします。

「火の用心」とか「家内安全」とか、神社などで貰ってきたお札を貼っておけば、何となくそう言う災厄から逃れられる気はするんだけれど、実際に自分達を災厄から守るのは、やはり日々の用心であったり準備であったりするわけで、お札自身にはそんな能力は無い。でも、お札があることで、何となく得られる安心感は万一の場合に備えての心構えみたいなものを生むだろうし、意識の中にもそう言うことを残していて、いざ問うときには少しでも慌てないことで、最悪の場合から逃れられるのかもしれない。物理的に「何%削減」とか目標が有る場合別して、こう言うものに関しての理解といういみでは、祀って(掲げて)終わりでは無く、そこから何をするのかと言う所が見える化しないと、なかなか本来の目的としては進まないでしょうね。

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