このタイミングで、何故か朝日新聞が「コロナ対応に海外から批判続出 政府、発信力強化に躍起」と言う記事が。後半有料記事なんですが、前半を見るだけでお腹一杯なのはいつも通り。PCR検査が少ない日本は、隠れ感染者が多いという、いつもの使い古された論調から始まるわけですが、それに対しては事前にCT検査でスクリーニングされていることや、早期に感染者が発見されたとしても、重篤で無い限りは隔離入院するだけで、今の自粛行動とそれほど大きな違いは無いと言う事は、今では広く理解されていることなんじゃないだろうか。なのに、朝日新聞の中では、どうも一月二月くらい前で時間が止まっているらしい。
無料記事の最後は「驚くほど無能」というNYタイムズの論病を紹介する所で切れているんですが、その論評記事を書いているのは、上智大学の中野教授で、まぁああいう一な訳で、そう言う意味では「NYTが」と振るのはおかしな話。同じ話は、散々日本のメディアでも話をしているのだから、朝日新聞はそちらを引用すればいいのに、多分「海外からも批判されている」という理由付けのために、海外メディアに掲載された日本人の記事を引っ張ってきているんですよね。毎度お手の物の手法だなぁ...
記事では、韓国にも学べと書いているんだけれど、別の記事で韓国の自動検査施設の話を見てびっくり。24時間3交替で27人(だったかな)が勤務して、一日あたり1万人分のPCR検査が自動化されて処理されているという設備。ここ一箇所で、ほぼ日本の一日分近い検査を賄える計算になるんですが、素朴な疑問として、そんな大規模な設備、今は良いけれど平時はどうしているのか、と。PCR検査は、何も新型コロナウイルス検査のためだけにあるわけじゃ無いから、普通の時にもそれは稼働しているんでしょう。でも、確か初期の頃の献体検査可能数は数百の単位だったと思うんですが、それで困っていなかったわけだから、それを考えるとその何十倍何百倍の設備を維持していくことは、物理的に難しいのでは。もしかしたら、数年後には「コンクリートから人へ」をスローガンの政権が出来て、事業仕分けで「何十倍も余力は不要ですよね」と立て襟のお姉さんに追及されるかもしれない(笑)。
今回新型コロナウイルスの教訓の一つは、マスクとか防護服とか、そんな普通にあるような気にしないような物でも、いざとなったら枯渇して死活問題になるかもしれないという事。普段余力をどれだけ持つかとともに、リスク分散だったり、可用性だったりというものも準備しておかないと、いざというときに八方塞がりになる事は今回痛いほど経験したもの。でも、それって何も亡いときには「無駄」とか「過剰投資」とか言われる案件なんですよね。勿論、経済的な余裕が無いとそう言うものすら持てないのだけれど、今回の教訓を生かすとするなら、リスク分散とか直ぐに転用可能な技術や設備に関しては、税金の優遇措置を設定するとか、いざというときに優先して利用出来るような契約を前提に補助を出すとか、「コロナ後」のアイデアは色々ありそう。その中で、PCR検査もどれくらいのキャパがあれば良いのかという検証はするべきだと思うけれど、単純に「批判されているから増加を」というのはおかしいと思う。まぁ、朝日新聞のことだから、何か別の意図があるのかもしれないけれど。
0 件のコメント:
コメントを投稿