2019年1月7日

マグロ初競り

先日の3.3億円マグロ初競りの裏側の記事。余りに法外な競り値に賛否はあるけれど、そこまで値段が上がったのは、記事にもあるように競り合った相手がいればこそなわけで、別に喜代村の木村社長一人の責任ではない。それに、毎年マグロの初競りを煽るメディアとかの責任も大きいと思うし、そこはメディアとか特に「大間のマグロ」を取り上げる特番なんかも責任は大きいと思う。

日本以外では、縁起物、ご祝儀相場、世界的にも人気なマグロと言う点を差し引いても、たかが一匹の魚に3.3億円という値付けはクレイジーという反応も多いみたいだけれど、それを言ったらワインとかも似たようなものですよね。年代とか、生産地とか、ブランドとか、確実に美味しいかどうか分からないものに対して、やはり高額の競り値が付いて世界をざわつかせることは結構あること。「競る」という行為が、競争心を煽って値段をつり上げるし、希少性が加わればそれがさらに加速されることも分かります。とはいえ、ワインに関しては熟成とか保存管理というような「人の手」がかかっていて、ある程度管理可能な中で付加価値を高めていくので、まだ値段が上がって行くのは分かるんですが、マグロの場合は釣れるか釣れないか、運任せの中で大物を釣り上げたら「当たり」というギャンブルみたいなもの。それで高値が付くというのは、対象はマグロという「食料」だけれど、ダイヤモンドとかの宝石で大物とか希少性の高い原石を掘り当てるのと同じなんでしょうね。

競り落とされたマグロは、直ぐに「すしざんまい」で切り分けられて、通常価格で販売されたらしいけれど、全国的に取り上げられてこれだけ話題になれば、取りあえず3.3億円は会社としては取り返せたのかな。でも、このマグロ、4日に釣り上げられて5日には店頭で販売されたらしいけれど、マグロも何日か寝かせた方が美味しいと思うのだけれど、大丈夫なんだろうか。私は、油が苦手な年齢になってきたので、もう何年も大トロは勿論中トロも食べずに、マグロなら赤身しか食べないけれど、ここまで大物になるとその赤身も一寸大味になっていそうな気がする。

今でも自分が食べて美味しいと思ったマグロの赤身は、実は気仙沼で取られた本マグロの赤身でして、もう10年以上も前の話だなぁ。口に入れた瞬間、重みで口にあるのは分かるんだけれど、何というか舌の上に載っている感じがしない位自然な感触で、で噛んでみると一寸ねっとり感があるんだけれど口の中に何か爽やかな空気が広がるような。そして、何度か寿司飯と租借すると「すっ」と消えていくように無くなっていくというか。懇意にしているお寿司屋さんでも、時々赤身をお願いして食べていて、当然そのお店の赤身も美味しいんだけれど、あの気仙沼のマグロの記憶だけは超えられないなぁ... 多分に記憶の中でバイアスがかかり、美化されていることは事実なんだろうけど、そう言うマグロならいつかまた食べてみたい。

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