2018年5月18日

呼び捨てられる記者

ディリー新潮の記事、「記者を「あんた」呼ばわりする男 麻生財務相は なぜ人を不快にさせるのか」だけれど、内容を読むと、「なんで俺たち記者を尊重しないのか」と言っているように見える(笑)。麻生大臣の口が悪い、福田元総理やあの石原信太郎氏ですら「あなた」だ、と比較して、中盤からは人称の使い方の説明になる。

まぁ、個人的にも麻生さん的には不愉快で有る事はよく分かる。正直、どうでも良いようなことに振り回され、さらには部下に続けて不始末の報道がありその対策も取らないといけない。勿論、自分も責任の一端を担っている経済問題や産業問題だってまだまだやることは一杯有る。そんな中で、重箱の隅どころか重箱が無いところまで突かれて、ああでも無いこうでも無いと無駄な時間を消費させられれば、そりゃぁ嫌にもなるでしょうね。勿論、そんな時でも取材する側がちゃんと木手ギアって意味のある取材をするなら良いけれど、判で押したように関係無い話しに集中し揚げ足取りばかり。記事の最後には「記者さんと言えば」なんて書いてあるけれど、そう言われたいのであれば何故相手がかたくなな態度になるのか、メディア側だって反省するべきでは。と言うか、そう言う慣れなあい関係になったら、より多くの取材が出来ると思っているんだろうか。勿論、常に緊張している必要は無いけれど、基本は記者と取材対象者は丁々発止の関係でいるのが一番望ましいのでは。

「人を不快にさせる」という意味では、特定野党の議員の方がもっと酷いと思うけれど、そう言うことは一切取り上げないんですよね、最近のレガシーメディアは。そう言う意味で、彼らも不快感を感じているのかもしれないけれど、それ以上にそう言う彼らが書いた記事で、読者はもっと不快感を感じていることを自覚して欲しいですよね。長いものに巻かれない心意気は良いと思うけれど、だからといって何でもかんでも反対すれば良いという話しでも無いし、無理を通して道理を引っ込ませるような姿勢は、その報道内容自体にも恣意的なものという印象しか残さないわけで。

少なくと、自分達が同相手から呼ばれるかなんて言う事を気にしている間は、相手の本当の意思を知ることは出来ないでしょうね。相手の弱点を突いて、罵声を浴びても、事実何なのか、相手の意図は何なのか、それを導き出して納得出来る説明とともに読者に提供するのが、メディアの仕事でありジャーナリストを名乗るであれば、それは最低限の義務だと思う。

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