2018年2月24日

道義的責任は?

朝日新聞の慰安婦報道に関しての裁判で、勝訴が確定したと誇らしげにツイートする朝日新聞広報アカウント。確かに、その報道でどれだけの被害が被告側に会ったかは認められなかったかもしれないけれど、これを持ってして朝日新聞がその報道内容に虚偽の内容があり、多くの誤解を招いた事実まで正当化されたわけでは無く、そういう意味では朝日新聞にはメディアとして「道義的責任」が有るはず。それまでも贖罪されたらと言いくるめて終わりにしようという態度と認識に腹が立つなあ。だいたい、日本語版では謝罪したことを英語版など海外に対して一向に実行していないわけで、同じような事を別の企業なり別の業種の企業が行ったら、朝日新聞はそれを良しとするのだろうか。

自らも、自社の報道に対して気にくわない書籍に対してはスラップ訴訟まがいなことをやっているくせに、逆の立場になると言論の弾圧とか言い出すし。第四の権力、公共の新聞を謳うのであれば、こう言う訴訟を起こされること自体を恥と思わないといけないはずなのに、勝ったから良しというのは変では。それならば、今の与党安倍政権は国民から支持を得て政権運営をしているわけで、そういう意味では選挙で「勝ったから良し」のはず。朝日新聞が得意な「マイノリティーに優しく」と言う事を考えるのであれば、例え自らの報道が正しかったとしても、それに対して不利益を感じる人が存在するのであれば、その少数意見を聞くべきではないの?!

大手新聞社を代表に、所謂レガシーメディアの存在価値あるいは立ち位置というのは、ほんの10年20年で大きく変わってきているわけで、その最大の理由はネットを通じて「生の情報」がどこにでも誰にでも流れていくこと。これまでは、オリジナルが不明だったから、レガシーメディアの報じる情報が統べてて有り、そこに某かのバイアスが掛かっていることは理解していても、その度合いまでは分からなかった読者は、今ではちゃんと比較して評価できる立場になっている。そこに、旧態依然の内容と仕組みで未だに情報発信を続けているレガシーメディアはもっと危機感を持つべきだし、そうであればこんな「ざまあみろ」的な発言なんて、間違っても出来ないはずなんですけどね。だからこそ、レガシーメディアは滅び行く恐竜と同じような印象を受けるのかもしれない。

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