母親の携帯が古くなりすぎて、先日らくらくフォン(スマホ)に交換したんですが、その後も「××の使い方が分からない」とか「何々が動かない」などで、オンサイトサポート要求が時々来ます。その度に、らくらくフォンの操作をするんですが、正直既存のスマホ(Android/iPhone)に慣れていると、このらくらくフォンスのI/Fは凄く使いづらい。一番困るのが、並んでいるアイコンやボタンから操作するのに、普通にタップするのでは反応しなくて、結構長押ししないとボタンがクリックしたと判断されないから。これは、高齢者が敏速な操作が出来ないからそう言う仕様になっていることは理解しているし、それはそれで有りだと思うんですが、実際に操作してみるとなれ異常に凄く違和感を感じます。
それは、自分自身今のスマホのI/Fに慣れているからと言うのが最大の理由だと思うけれど、そこで感じたのが、あと10年、20年して、自分がその頃のらくらくフォンユーザーになったときに、その時はどう言うI/Fが「らくらくフォン」として採用されているのか、ということ。少なくとも、現在の仕様をそのまま継承されたら、多分放り投げそうだなぁ。今のタップとかスワイプに慣れているけれど、操作のスピードなど秦荘はゆっくりして貰わないといけないかもしれないけれど、そんなに変わらない気がする。でも、その頃には音声I/Fが普通になっていて、そんな「物理的画面接触操作I/F」なんて、その頃の人から見ると「とても自分は使えない」と思われてしまうかも。
かなり高齢となり、要介護状態の自分の父親も、会話なんかだと結構怪しいことも多くなり、記憶も定かで無いことも散見されるようになりました。でも、最近のことは覚えられないのに対して、昔の記憶は結構しっかりしているし、後仕事をしていた関連の操作とか作業などは、今でもちゃんと実行出来るししっかりしている。「体が覚えている」というのは本当だなぁと毎回感心してしまいます。と言う事、自分が多少ぼけて記憶や行動が怪しくなっても、今のスマホの操作は自然に出てくるくらいは期待しても良いのだろうか。「三つ子の魂百までも」と言うけれど、「三つ子の操作は百までも」なのか(笑)。
例えば20年後くらいになると、今で言うAIの利用がもっと実用化されていて、例えば日々の行動を監視して学習して、起きてお茶を入れるとか、何かの薬を飲むとか、ある曜日に何処かに出かけるとか、そういうルーティン区ワークに関しての作業とか動作はAIが予め判断して支援してくれるようになる事は可能だと思う。その半面、AI我僧言う事にまで手を出すことで、その動作に関しての記憶がどんどん希薄化していき、それらからの刺激が無くなっていき、逆にぼけを加速させてしまうこともあるんじゃ無いかという気もします。そういう意味で、AIとしては作業を助けるのでは無く、困らない程度に作業の妨害をして、毎日本人が何か考えて工夫して動作をして手足を動かさないと困るような方向に仕向ける必要があるわけで、となると今の利便性を追求していくだけの考えも少し変えた方が良いのかもしれない。20年後の「俺たちのらくらくフォン」は、実は「そんなに楽では無いフォン」になっているかもしれないなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿