2017年9月10日

デジタルディスプレー

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、デジタルデバイスでの読み書きに関して。印刷された媒体は、その印刷された状態でしか読めないのに対して、デジタルドキュメントは、拡大・縮小や、HTMLであれば段組まで変更することも可能。本来はそういう方向にもっと進化するべきだと思うけれど、個人的に感じるのは余りそういう方向への進化は進まず、逆に印刷媒体に近づくために画像とか動画とかリッチコンテンツへの方向性を未だに感じます。

例えば、SNS等だとPC上で表示する場合とスマホ等で表示する場合では、その画面サイズの違いを認識してそれぞれのデバイスに最適化した形式に変換して表示してくれますが、本当はああいうことがもっと自然に行われるべきでは。と言うか、ドキュメントも含めたデータはクラウド上に仮想化されておかれていて、それを実デバイスで表示するときに、仮想表示装置と実表示装置との間でフォーマット変換をして最適化した表示をするようにすれば良いだけだと思うんですけどね。勿論、言葉で言うのは簡単だけれど(笑)。

同じように入力デバイスだって、フルキーボードの場合とフリック入力場合とで、それぞれの特性に合わせたIMEが動いても良いだろうし、I/Fだって変わっても良い。記録メディアだって、未だにリムーバブルメディアと固定メディアでの扱いが異なる蹴れで、仮想的に単なる「記憶装置」という形にして、それを実社会に表現するときに、HDDだったりSSDだったりUSBとかに変換してやれば良いだけで、本来ならどのメディアに保存するのかという事は考えなくて良いはず。データ処理だって、仮想マシン上で実行すれば、CPUの世代とか考えなくて言い訳で、単に仮想マシンと実マシンのマッピングが世代によって異なってくるだけ。ユーザーから見たら、いつも同じマシンが動いているだけ、というのが本来の姿じゃ無いかと思う。

で、その仮想マシンと実マシンとのデータ変換時に、例えば「老眼」とか「大表示」とか「高解像度」とかいうアトリビュートを入れて変換するようにしておけば、自然に自分にとって一番見やすい使いやすい形式で表示されるはず。勿論、技術的にどう言う方法で解くべきかという課題はあるけれど、本当ならそろそろそういう方向性が見えてきても良いんじゃ無いかと思うんだけれどなぁ。まだまだ、デバイスありきの考え方が多いけれど、そろそろ「データは普遍である。表現方法が進化するのである」というような認識が当たり前にならないだろうか。

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