2017年8月12日

ジョーカーメディア

菅官房長官の定例会見では、東京新聞の「望月衣塑子」記者は、ある意味国民的有名人になってきていますが、さらに今度は朝日新聞の「南彰」記者なるニューヒーローも登場した様子。先日も一寸触れたけれど、互いにライバルであろう新聞社の記者が、そのライバル紙の記事を引用して質問するというのは、「記者」という仕事を否定しているような気がする。いゃ、最低でもライバル紙がすっぱ抜いた記事やニュースを、後追いでもいいから取材調査して、そのライバル紙が触れていない新たな問題とか別の切り口を探して質問するなら、それはいいと思います。でも、その記事をそのまま引用(指摘)して「その内容は正しいか」と聞くのは、その記者が自分の仕事を放棄していることにも等しいのでは。

決して暇では無い政府の重要閣僚の時間をそれなりに拘束するわけだから、時間も制限されるだろうしその内容も自分だけでなくそこから配信されるニュースや報道は、国民にとって意味のあるものであるべき。ところが相も変わらず、同じ質問を繰り返して自分の欲する「言葉」がでてくるのを待っていたり、発言を切り貼りして都合の良い「文書」を作成したり、およそ公共の利益を考えるのではなく、自社所か自己満足のために時間を消費しているとしか思えない内容。この会見に出ている「自称新聞記者」だけが悪いのかと思うと、彼らの発言なり報道を盛んに支持する同類と思われる業界の皆さんも多くて、一体彼らは何のために誰のためにこの仕事をしているのか、いゃ「仕事」というよりも「活動」と言った方がしっくりくる気がします。

不思議なのは、この会見には東京新聞、朝日新聞以外の新聞社やメディア、さらにはフリーランスのジャーナリスト等、それなりの人数の人が参加していると思うのだけれど、こう言う特定の人が時間を占有して、しかもどうでも良いような内容の質問ばかりを繰り返すことに、疑問なり不満は感じないのだろうか。例えば、ここ数日は北朝鮮の日本に群れた、日本を飛び越えるミサイルの話題が最大の出来事だと思うのだけれど、そう言うことはこう言う場所で質問する必要性って感じないのかな。防衛大臣に聞けば良いという話し? 対策とか防御とか醸成は防衛大臣の仕事だろうけど、国内に対しての情報拡散とか万一の場合の対応などは、こう言う官房長官会見で聞くべき話だと思うのだけれど。

「言葉」を道具に「情報を伝える」事が使命の新聞記者が、その言葉の真意を考えることなく、単にその言葉単体だけを切り出して善悪なり正義なりを全体の主張として振り回す行為って、それこそ独裁の始まりのような気がするんですけどね。いゃ、例えばその言葉を使った真意を確認する、その言葉の意味をより明確にする、そういう言葉が登場した背景なりこれまでの連続性を確認して適正さを検証する、等々、そう言う意味での質問はもっとやれば良いと思う。でも、今のメディア、特に何故か政権に粘着している人達は、そう言うことなどつゆほども考えずに、その日その日発せられるキーワードに自分の気分で過激に反応して、それを「是」として一般に配信することを「正義」とはき違えていることに、呆れるを通り越して、最近では恐怖すら感じます。だって、それを信じている人が本当に多いのだから。「特定秘密保護法」とか「テロ等準備罪」に、あれだけ反対していた人達が、今ではまさにその通りのことをやっている自己矛盾には、気が付いていても気が付かない振りをしているんだろうなぁ。まぁ、だからこそ、それらが審議されていた当時に、今やっているような突拍子もない事柄を「こう言う事が起きる」と事例として紹介していたわけですからね。

彼らの様子を見ていると、なんとなくバットマンに登場する敵役「ジョーカー」をふと思い出しました。憎めないキャラクターなんだけど、気性の起伏が激しくて取っ付きにくい。正義感があるようで、結局は悪役みたいな。あるいは、トランプの世界では、ある時はオールマイティーなカードだけれど、全く使われない時とか、ババ抜きの時には「ババ」になり最後まで嫌われるカードである「ジョーカー」も、また彼らの姿や行動を表しているようで納得するところも。となれば、彼らの発信する情報は「ジョーカー」だと思って聞き流せば、殆どの場合問題無いと言うことなんだろうな。(笑)

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