2017年8月27日

機関紙化する新聞

東京新聞の佐藤圭記者のtweetがTLで炎上している件。この人も結構以前から有名だったけれど、東京新聞と言えば菅官房長官の会見で存在感を見せている(?)、望月衣塑子記者が代名詞。まぁ、どっちもどっちというか...

この佐藤氏の発言、加戸前知事の発言を取り上げなかったのは「報道する価値がなかったから」と言い、その理由として「首相の友人に決まったプロセスが本質」と言いながら、加戸前知事の発言は獣医学部の必要性しか説明していないから取り上げないと説明している。でも、その加戸前知事の発言では、獣医学部誘致のために協業してくれる獣医学部を探して断れて、たまたま地元県議と加計学園の関係者が知り合いで、そこから今回の特区申請の話が10年前から始まっていることは、その「プロセスの本質」の一部では。例えば、その加戸前知事の誘致作業が、元々は別の大学と始めていて、その後今回の特区の直前に加計学園に変更されたとか言うなら、まぁまだ納得出来る。でも、加戸前知事自身が「最初から最後まで加計学園ありき」と、やや危ないブラックユーモアーも含めて証言しているわけで、少なくとも加計学園を選択した部分に関しては安倍総理の関与は無いし、地元も含めて納得ずくの話。結局、加戸前知事を取り上げてしまうと、彼らの攻め所の多くの部分が消えてしまうので意図的に避けた、と言われても仕方ない状態。

あるいは、ここ一年くらいの間に「友人だからプロセスが加速された、優遇された」という話は東京新聞としては強調したいのかもしれない。これは、望月記者の執拗な質問攻勢にも表れている訳ですし。ただ、それを言うのであれば、その数年前からワーキンググループ内で文科省に対して獣医師が足りている根拠を示す要求が何度も出されていて、それを何度も延長しているからこそ、流出した女性担当者の「総理の意向」という錦の御旗で文科省が渋々承諾し獣医師会に対して仁義を切るみたいなことを考えたんじゃ無いかと思うのだけれど、そういう背景すら説明せずに前川氏の話しか取り上げない。ワーキンググループの議事録などを見ると、前川氏が説明責任を理解していないことも分かってしまうからと言う理由もあるかも。

例えば取り上げるべき大きなテーマとして、この事件とこの事件とこの政策があって、でも紙面の都合上二つしか取り上げることが出来ないから最初の事件に関しては三つの話題の相対的な価値判断で「取り上げる価値無し」という判断をする事はあるでしょう。あるいは、三つとも取り上げる価値はあるけれど、優先順位の関係で記事の大きさを大中小とする事もあるかもしれない。でも、一つの事象の中で重要な位置を占めていることを「価値がない」と勝手に判断して取り上げないのは、それは恣意的な報道と言われても仕方ないし、変更していると言われても仕方ない。その瞬間に、そのメディアは「公共性」という彼らが日頃振りかざしている存在理由を捨てて、自らの主観配布をする組織になるわけで、それって何かの集団の機関紙であったりするものと変わりないのでは。その情報提供会社が、その会社としてあるいは社長・責任者の考えとして一定の方向性なりバイアスが生まれることは仕方ないとしても、それが目的になってしまった時点で、その組織は「報道機関」という範疇から外すべきじゃ無いだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿