2017年6月27日

無償化するなら質の追求を

獣医学部が50年以上も新設されなかった理由として、獣医学会等は「質の維持」という事を言っている。つまり、学部が乱造されて、獣医師が増えすぎて、結果獣医師の質が低下するという話らしい。でも、獣医師の場合は獣医師免許試験があるわけで、少なくとも開業しているあるいは獣医師としてそれぞれの分野の仕事に就く以上は、一定以上の水準の議事湯津や知識を有しているはず。勿論、そこからの経験値で良い獣医師になれる慣れないは有るかもしれないけれど、それはどんな場合にも有る話なわけで、学部が増えればそれにチャレンジする人が増えるだけで、出てくる人は試験というフィルターを通過した人のはず。例えば人が増えたから合格点を下げるとか言う話でも無い限り下がることは無いだろうし、逆に受験者数が増えるのであれば合格点を上げることで質の向上を維持しつつ人員も維持できるだろうし。

で、大学の無償化が今言われているけれど、今回の件を見聞きして思うのは、大学無償化をするのであれば、大学に対しても一定の評価基準を設けて、それを満たさない大学に対しては閉校も含めて処分をして欲しい。例えば、何年も定員割れするような魅力の無い学部・大学は勿論のこと、入学者に対してちゃんと卒業できない学生数が一定以上有るような場合も評価対象にすべき。さらに言えば、特に大学院生に関しては、ちゃんと論文提出させて、全国的な学会なり国際的な学会での評価も加味させるべき。これは、文系、理系関わらず、大学での成果というのは論文あるいは研究成果の発表なわけだから、それをちゃんと評価基準として入れるべきでは。勿論、例えば日本のトップである東大京大とかや早慶等と、地方のローカルな公立・私立大学では、同じ分野の研究発表でもそのレベルは違うかもしれない。でも、例えば地方ならその地方の歴史研究とか、中央の大学などでは手が回らない分野の研究は逆に可能だろうし、理系に関して言えば地元企業との産学協同研究などに重み付けすることで、地方活性化をしつつ価値ある研究が可能になる可能性も大きくなるのでは。で、そういう実績は逆に高く評価するような仕組みにすれば良いと思う。

質の良い研究をするためには、質の良い指導者と質の良い設備・環境が必要なわけで、となると闇雲に天下りばかりを受け入れていくのは難しいことになるのでは。特に大手とか有名校ならそれ位の余裕は有るかもしれないけれど、逆にそういうところ世間の注目も集めるわけだから、ある程度の監視機能も期待出来る。さらに言えば「社会人教育」に力を入れていることとか、地域での学習機会を作っているような大学などの教育期間にも無償化の時には重み付けをして評価すべきでは。単にセンター試験(とは今は言わないのか?)の点数だけで格付けするのでは無く、そう言った実績ベースで評価点を付けて、それによって補助の程度や内容を変えていくのが本来の姿では。それによって、学部学科問わず淘汰されていくべきものは消えるだろうし、必要なもの意味のあるものは残っていくだろうし。今回の加計学園の騒動を見ていると、結局は天下りという文科省の権益保護のために、大学側の学部開設などの岩盤規制を維持してきた構図が見えるわけで、それで必要な質と規模が確保できているなら良いけれど、そうじゃないから問題だという事を再認識させてくれたことは、今回の騒動で分かった数少ない利益だったのかもしれない。

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