2017年6月1日

見苦しい負け惜しみ

それなりの長さ生きてきて、また社会人として30年以上色々な人と会いながら仕事をしてきて、色々学んだこと経験したことは幾つかあるんですが、その中の一つに「言葉遣いの汚い人は、心も汚い」という個人的格言があります(笑)。出、まさにそんな個人的格言の典型みたいな記事が掲載されていて、「まさに的中」と一人にやりとしてみたりして(をぃ)。まぁ新聞の、それも産経新聞の記事だから多少は誇張も入っているかもしれないけれど、でも日々の国会やその周辺での彼らの発言を見聞きしていると、まぁ然もありなんと納得も出来るのが悲しい。

例えば、これが一般の友人とかの関係であれば、そんなに嫌いなら疎遠になれば良い。あるいは、会社などの組織で仕事をする中であれば、担当を変えて貰うなりすれば良い。でも、議員として相手と議論をして提案をして一つの結論をまとめるべき義務を果たさずに、ただ相手が嫌いだどうだと言っているのは自ら敗北を認めたことになるのでは。つまり、相手と議論したくない話をしたくないと言っているわけですから、相手の主張を打ち負かすあるいは自分の方向に向けさせるネタも力も無いと言うことだから。本来の仕事場である議会や委員会では無く、全く関係無いところでこう言う事を言って溜飲を下げているというのは、サラリーマンが居酒屋でくだを巻いているのと変わりないんじゃ無いだろうか。

結局は、彼ら自身に力が無いことが第一だけれど、それ以外にも攻め所というか話の筋道を立てることすらちゃんとやらずに、単に時間を浪費しているだけだから国民も飽き飽きしているのでは。森友学園問題しかり、加計学園問題しかり、自らそれらの問題をぶち上げたのに、結局は頼るべき情報は週漢字だったり新聞記事だったり、自分達がちゃんと調査するなり調べるなりして裏付けを持っている物が無いから、結局は上辺だけで何も結論は出ずに時間だけが浪費していく。

森友学園問題にしても、妙に安倍総理・昭恵夫人との関係に執着するから話が反れていくだけで、当事者である近畿財務局なりのプロセスをちゃんと精査して、その中で地歴の悪い土地を早く手放したかった当事者の手順なりを追いかけていけば、それなりに政局に対しての反論に繋がる材料があったかもしれない(最も、隣りの公園事業に関して、辻元氏は後ろめたいところがあるかもしれないけれど)。加計学園にしても、攻めるだけじゃ無くて、逆に民主党政権で始めた事業なのだから、何故そんなに文科省は抵抗するのか、と言う観点から進めていけば、元々の話が地元の民進党議員であったり、既成勢力に対しての突破口を民進党(民主党)が成し遂げたとか、一つ成果を示すことが出来るのに、それだと今の自公の手柄になるからとか言うんでしょうね。自分達で立ち上げたものまで、自分達で潰そうとする。

先日も書いたけれど、政権交代可能なチャンスを持つ民進党がやるべき事は、今の自公与党よりも良い社会・良い生活を提供出来るという事を示すこと。一つ一つ上げたら切りが無いけれど、人の悪口を藺生だけで、何も提案らしい提案は無いに等しい状態では、普通の社会なら「小五月蠅い小言ジジイだから避けよう」と思うのが普通。さらに言えば、多くの人は「民主党政権」でそれまで言われていた大きな期待をとことん裏切られて、さらにその後も何も反省も無ければ、替わったのは名前だけど中身は何も変わらないことしか外からは見えない。その上、相も変わらず誹謗中傷みたいな質疑をしていたり、人の悪口には熱心だけれど、自分に対して疑念が向けられると何も言わなくなるわけで、それでは信頼所か政党に対しての興味すら生まれない。政権支持率や政党支持率は、そういう国民の雰囲気を良く表していると言う事も、もっと真剣に考えないと。幾ら産経新聞だからと言っても、こんなことを仮にも野党第一党の党首も含めて記事にされることの、恥ずかしさをモット感じないと、この政党も後が無いでしょうね。まぁ、個人的にはしったこっちゃ無いけれど。

逆に、個人的には日本維新の会が野党として遥かにまともに見えるんだけどなぁ。

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