2016年12月29日

働き方

電通の女性社員自殺事件は、社長の引責辞任で一応幕引きになりそうだけれど、単に自殺したその女性社員と上司との菅家が原因ではなく、また単に電通という会社組織の問題ではなく、やはり日本の労働環境とか社会組織の問題も原因としてはあるように思います。

例えば今回の事件を色々見聞きして個人的に感じるのは、会社の仕事のやり方というか勤労時間は昔ながらの状態であるのに対して、社会システムは昔と事なり、多くのお店や企業は昔ながらの9-5時から深夜営業や24時間営業が普通になりつつ有り、言ってみれば社会生活自体が昔の8時間労働体制から、12時間とか18時間とか24時間という何倍もの広がりが常態化している。また、物流関係を見てみれば、昔は注文してから数日から一週間位は待つのが普通だったけれど、今では翌日配達は当たり前で、場所によっては当日配達なんて言うのもある。その為には、実際に配送する人だけでなく、製品の管理や保管、その為の発送処理等、いろいろと影響を受ける組織が周りに必ずあるわけで、結果的に社会全体がこれまでの9-5時の「8時間労働前提」から「12時間、16時間、24時間労働前提」の組織に変わってきている。労働提供側と、労働受益側に不整合が生まれているのに、それに対応した変更修正が労働提供側に生まれないから、結果的に「残業」という形で、8時間労働システムを拡張拡大して対応するしかないという現状も、大きな原因の一つじゃ無いかと思うわけです。

この事件を契機に、働き方を考えるという動きが生まれてきているのは良いことだとは思うけれど、その中に今の社会システムに対しての疑問が余り感じられないのは個人的には残念。企業側では、例えばファミリーレストランのロイヤルが、24時間営業を止めたり定休日を復活させるなど、一歩先の対応を考えているところが出始めているけれど、それも重要な動きですよね。顧客ニーズに対応するために、どんどんサービスを広げていって、結果的に24時間営業や当日配送が状態かしている社会では、さらに利便性や即納性が要求されていき、結果的に何でもかんでも直ぐにできないといけない社会になっていることも、受益者側としては考える必要があるのかも。

勿論今回の自殺事件は、そう言う社会システムの不整合が原因というよりも、労働提供側のリソースと要求側のリソースの不一致による労働の集中によるストレスが最大の原因だろうし、その為にはリソースの選択と集中が唯一の解決策なんだろうけど、だからといって人を増やせば良いという問題でも無いだろうし。人材だって無尽蔵にあるわけでは無いから、当然他所から引っ張ってこようと思うと、例えば24時間営業を18時間にすれば、16時間にすれば、その分余裕が出来るとなれば、では24時間営業の是非はどうだろうかという考えが生まれても良いんじゃ無いだろうか。

「働き方」を見直して、無駄を無くして効率化して行くことは確かに重要なんだけど、それで例えば1時間2時間仕事が短縮されたら、そこにさらに新しい仕事が投入されて、さらに効率化を要求されていくのも事実。働き方を変えていくことは重要だけれど、それで浮いた時間や余裕は仕事以外の物に振り向けていくことも考えないといけない。ただ、それをすることで、自分達が生活している社会システムに対しての要求はどんどん高度化複雑化高品質化していく必要もあるわけで、そうなると結果的に労働側に対しての要求がさらに拡大していく事にもなるわけです。その矛盾というか、相互作用という物も、受益者側の我々ももう少し考える必要があるんじゃ無いだろうか。

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