朝日新聞の社会部が、こんなtwitterを流していて話題(問題?)になっているらしい。すでに散々に指摘されて居るけれど、「お前言う?」状態。相手に取材して、記事を書いて、それが捏造だったり誤報だったりした場合は、キュレーションサイト以下と言う事になるのだけれど、それは朝日新聞は受け入れるのだろうか。
この件のいろいろな情報を見ていると、どうも今回のDeNAの一連の騒動を、新聞や放送局などのレガシーメディアは「だからネットメディアは信用できない」「レガシーメディアはちゃんと取材をしている」みたいな、上から目線的なコメントが多いように感じます。キュレーションサイトは、ちゃんとしているところも言ってみれば「特定情報を凝縮して整理した場所」であるから、どちらかというと辞典的な役割なわけで、報道という目的の新聞・放送とは一寸違う。それなのに、何かライバル視している方がちょっと可笑しいのだけれど。騒動を起こしたDeNAは、それはそれで監督責任や運営責任はあるけれど、それでも謝罪しサイトを閉鎖視対策を取ろうとしている。対して、朝日新聞は、慰安婦報道に関しては、虚偽の内容があったことは認めたけれど、訂正努力はしないし、謝罪も無い。さらに、それら虚偽内容に関連した話に関しても、これは事実と言いながら「女性の人権問題である」と話題そらしをして、いかにも朝日新聞は正しかったというような雰囲気を作ろうとしている。戦争中だから女性や子供の人権や立場が弱かったことは事実だけれど、戦時中そう言う風潮を煽っていた芽ディの一つでもあるわけで、それに対してはどう思っているのか。
今のネットメディアは、昔の柵が無いから、自分達が必要な方法で必要な情報を収集して配信しているわけで、だからこそ新規な点もあるし新鮮なものも感じられるけれど、稚拙なところもあるし信頼性に関しても十分でないところもある。それに対してレガシーメディアは、それなりの経験値を持っているし組織力もあるから、ある程度の信頼感もあるし立場も大きいけれど、でもだからこそ自らのミスや失敗を認めない事も多いわけで、そういう所の反省は感じられない。レガシーメディアはレガシーvsネットという対決姿勢を演出したいのだろうけれど、「メディア」という視点で見ればそんなことは無関係で、それにこだわることは逆に滑稽なわけです。そういう所を理解しないで、ネットはとか、キュレーションサイトが、なんていうことを蕩々と説明しているテレビの中の人達は、我々から見ると何か別の世界に住んでいる宇宙心、異星人的な印象を受けてしまうわけです。あぁ、この人達は明日世界が終わり、唯一の解決策がネットであっても、決してそれを認めること無く、自分達が正しいと言い続けて消えていくんだろうなぁと感じてしまう。
自分が前の会社に新社会人として入社した時に、入社式の時の社長の言葉に「今の会社はコンピューターの会社だけれど、20年後、30年後もそのままだったら、そんな会社は辞めた方が良い」というようなことを言われてビックリした記憶が今でも覚えています。つまり、常に未来を見て、新しいビジネスを開拓しないと、その企業は老衰で死んでしまうと意味だったんですよね。それは正しくて、その会社は今ではコンピュータを使う会社になっています。レガシーメディアも、メディアとしてのコアビジネスは残しても良いけれど、その情報の収集方法とか検証方法とか、それは紙や電波ではない媒体を利用することをもっと意識しないと、自分で自分の尻尾を追いかけていくことが進歩だと勘違いして倒れて死んでいくような気がする。
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