2016年12月3日

怨嗟の政治

混乱している韓国政界で、産経新聞加藤支局長に対しての対応が、政権中枢からの指示があったという記事。まぁ、日頃の様子を見ているだけ、なんとなく納得できる話。仮に日本でこんなことがあれば、即座にその政権がひっくり返るどころか、その与党も厳しく批判されて解散総選挙になると思うけれど、韓国の場合はそんなことも織り込み済みなのか、余り騒ぎになっていないような雰囲気も感じられます。

中国とか韓国の国民性として、一族の中で一人成功者が出ると、そこにぶら下がるような形でその地位や権利を分割利用する風潮がありますが、今回の一連の政治混乱も、そんな雰囲気を感じる物。それを「人情に厚い」と言うのは綺麗な言い方だけれど、公私混同でもあるわけで、そういうところがこれらの国の根本的な問題だと思う。勿論、日本にだってそう言うことはありますけれど、それなりに自浄作用は生まれるし、元々そう言う事は望ましいものでは無いという意識もありますからね。敢えて、そう言うことをやろうと思わないし、やったとしても目立つようなことはしない物だけれど、この加藤支局長に対しての行為は、素人の私から見ても尋常じゃ無い印象を受けましたから。

慰安婦問題を筆頭に反日色の強い韓国に対しては、こう言う政治的な未熟さや国民性の特殊性を広めて、彼らの言うところの情報の信頼性を下げていくのが、時間は掛かるけれど一番の解決策じゃ無いだろうか。勿論、全ての韓国人がそういう人達と言うつもりは無くて、ごく一部の人達の話ではあるけれど、彼らの国民性からそれら声の大きい人は上の人であり、だから追随するという意識が多いですからね。

今にして思えばという感じだけれど、今回いろいろな情報が表に出てくると、当時不思議だった事柄に納得がいくというのが、なんとも間抜けな印象を受けます。多分将来同じような事が再発したら、今度は今回のような裏の事情が先ず疑われると思うけれど、でも当の韓国の人達はそんなことは忘れていて、やはり以前と同じように批判だけするような気もします。まぁ、付き合わされるこちらはたまったものでは無いけれど。

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