中川淳一郎氏の記事から、韓国の100万人規模のデモが民主主義の手段として羨ましいと感じる日本人について。日本でも「安倍を倒せ」と国会前で何万人と集まって夜な夜なアジテーションをしていたグループがいたけれど、ああいう行動行為が許されていると言う事が「民主主義の世界」なわけで、力で自分達の主張を押し通すことは彼らの言うところの「ナチ的手段」だと思うのだけれど、彼らはそうは思っていないんですよね。仮に、デモが正しい民主主義であるならば、それこそありとあらゆる手段を使って人を集めて、それを理由に自分達の言いたいことを実現させればいいわけで。でも、仮に日本で100万人の人が集まって、それらの人が全て同じ意見で、それを通すためにデモをしたとしても、日本の人口1億3000万人から見たら、1%にも見たいな集団の意見なわけです。そんな人達が全ての意見を代弁しているとは絶対に思えない。ましてや、その集団の裏には共産党とか労組とか組合とか、彩資源集団が見え隠れするわけですし。
大体、この韓国のデモになんで日本の労組とか参加しているんだろうか。日本の同様のデモに韓国の団体が来ていることも明らかになっているけれど、そう言うのって双方の国家にとって国家転覆罪とかに当たらないのだろうか。大体、相手国に言ってそう言う行為をする場合、多分通常の観光ビザとかビジネスビザ等、ビザ免除の対象外だと思うのだけれど、入管法違反で大挙されても文句を言えないはず。まぁ、そう言う場所に喜んで出かけている国会議員もいるわけで、そう言う人間には先ずどちらの国のために仕事をするのか、先制を義務づけても良いくらい。
デモは、デモンストレーション(demonstration)の略で、意味としては「示威行為」という意味が一般的だけれど、さらに「証明・論証」という意味もあるわけです。つまり、デモをする人達は自分達の主張の正しさもそこで示さないと行けないわけだけれど、少なくとも日本の場合は集まって圧力を掛けて力で変更を要求するだけで、たまに演説とかをしている内容を聞いても、感情的以前に何を言っているのか分からないような内容で、支離滅裂以前のものばかり。だから、人は色々な方法で集まるかもしれないけれど、そこから共感を得ることは何も無い。
ただ、韓国の場合は、国民性もあって、ああ言うことをすることが一種のガス抜きで有り相手を倒すための示威行為であるわけで、彼ら的には意味のある行動。ただ、それって韓国の民主主義自体がまだ未熟で有る事を証明しているに過ぎないというのは、中川氏の最後のコメントに同意。一番の問題は、見た目の印象だけで、あたかもそれが真実・事実だと簡単に言ってしまう、安上がりなメディアなんでしょうけど。
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