女性社員の過労自殺から電通に家宅捜査が入った事件。一般の報道を見聞きしていると、どうしても「残業月100時間」という、時間に注目が集まっているように感じて、一寸疑問を感じます。とある会社役員の人が「自分の若い頃は100時間なんて当たり前」みたいな発言をして叩かれていたりしたけれど、残業時間も労働に対しての問題要素の一つだけれど、それが全てでは無いことも事実。例えば、自分のやりたい仕事以外の仕事を強制されれば、それが提示で終了するものであっても精神的な苦痛を感じるかもしれない。あるいは、自分が望む仕事であったとしても、顧客トラブルとかスケジュールトラブルとか、やはり何か問題を抱えていたら、それが苦痛になることもあるでしょう。そう言う場合に問題なのは、そのトラブルの大小よりも、その内容によって自分は苦痛を感じるけれど回りはそうでは無い事も多々あるわけで、そう言う場合には回りに相談も出来ずにますますストレスが溜まっていくだけ。
勿論、仕事だから苦しいことや嫌なことでも処理して解決しなければいけないことも多々あり、それすら否定し舞うのはどうかと思う。それでも、そう言うケースを回避できる仕組み、支援できる体制、乗り越えようという意欲を醸成する切っ掛け等が必要に応じて準備出来る組織や会社というものになれるような事は重要。今回の記事などを見ていると、どうしても100時間という定量的な部分にのみ集中しているように感じられるけれど、もっと本質的なところの問題を解決しないと、また同様の悲劇が発生する気がする。
何か解決策があるとか言うわけでは無いけれど、自分が就職したての頃は、多分今よりももっといい加減で残業時間も多かったことは事実。仕事の分野や内容は全く違うから比較は出来ないけれど、やはり当時は苦しいと感じたこともあったし止めたいと思ったこともあったけれど、記憶が薄れるからでしょうか、今思い出すと「そんなこともあったなぁ」という風に懐かしさすら感じるくらい。今だからそう言う印象も持てるのだろうけれど、やはりあの当時は若さもあって自分にとっては深刻な状態であったことは確か。その後色々と労働環境も変わり、管理者とかマネージャーは部下の仕事の進捗状況だけで無く、体調管理や生活に関しての注意もちゃんと払うことが要求される時代になったけれど、まだまだそれだけでは解決出来ない事も多いでしょう。ただ一つ言えることは、会社側、組織側の変化も必要だけれど、本人の考え方も重要なわけで、回りがどんなに変化しても、自分があえて勇気を持ってGive-upする、助けを求める、訴える、という「行動」を起こすことも必要。彼女がどうだったと言えるほどの情報を持ち合わせていないので軽率なことは言えないけれど、どんなことでも自分から行動しないと解決しないと言う事も悩んでいる人は心得ておく必要があるでしょうね。
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