虐めに関して、はるかぜちゃんのまとめツイ。「いじめられる側」ではなく「いじめる側」に原因があるというのは至極納得出来る説明だけれど、個人的にやられたなと衝撃を受けたのが最後の方に書かれている、自分が「いじめる側」にならない理由:
「いじめという行為が嫌いな人に自ら近づいて関わって行くという奇妙な変態行為」
これ、至言だなぁ...
私自身は、子供の頃に「いじめられる側」にも「いじめる側」にもなった事があって、最初は「いじめられっ子」でした。正直理由は分からないけれど、どちらかというと内向的で、余り積極的で無い、ナヨナヨした感じというか、そんなので弄られキャラッぽい感じだったのかな。で、ある時、自宅近くの神社に大きな穴が掘ってあって、その中に落とされた事があります。穴の深さは2m近くあったんじゃ無いだろうか。直径もそのくらい。大きな浄化槽を埋めるような感じの穴だったように記憶しています。そこに何故か落とされて、外に出ようとすると上から土をかけられたり、足でまた落とされたり。結局1時間くらい穴の中で泣いていたかなぁ... 外に誰もいなくなったようなので、途中に土の中から出ていた木の根っことかちょっとしたくぼみを足がかりに外に出て、端って直ぐ近くの自宅に帰った事を覚えています。これが点気になった気がするんですが、この頃から「やられる前にやってやる」みたいな気持ちになって、さらに当時はそれなりに勉強は出来たから学級委員とか、学年委員みたいな訳には毎年選出されていたので、そう言う立場を利用してネチネチといじめたり(笑)という、「いじめる側」に為っていったかも。
とは言っても、腕力には自信が無かったし、学級委員という立場上大っぴら事も出来ず(笑)、「いじめっ子」として暗躍する事はほとんど無かったと私は思っているけれど、もしかしたら回りには「あのやろー」と思っていた人間ばかりだったかも。今にして思うと、もともと内向的な性格で会った事もあって、ちょっと面倒くさそうな人には関わらないようにしていたから、結果的には「いじめる側」になる事も無くここまで来たと思いますねぇ。仕事をするようになって、いろいろと「こん畜生」と思う事や「何だこいつ」と感じる事は多々あったけれど、基本的にはそう思ったらすこしずつ距離を広げていくというのが自分のやり方になっていき、結果的にはそれってはるかぜちゃんの意見と同じだったというのは、ちょっと嬉しいかも(笑)。
ただ、ここまで「虐め」の原因がはっきりしてしまうと、いじめ対策はいじめる人をいかに止めるかしか方法が無いわけで、これって非常に難しい。いじめられる側がそれなりの年齢でそれなりに行動力があれば「逃げる」という手もあるけれど、それでも追っかけてくるのが「いじめる側」であるし、例えば子供虐待なんて逃げる事すら出来ない。しかも、いじめる側っていうのは往々にして悪賢いから、見つかるようにはその虐め行為はしない事が多いわけで、となると事前にその人を拘束したり注意する事も難しい。結局は、いじめられる側が全てを背負い込んで悩んで、最悪自ら退路を断ってしまう事しか出来ない。攻めて「いじめる側」の人間に、「あんたは変態なんだよ」と全員で言い続けていくしか無いんでしょうか。それで解決出来れば良いけれど、往々にして編隊変態と呼ばれる事に喜びを感じてエスカレートしていくものだし。悩ましいですよねぇ...
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