2016年9月28日

お目付役

豊洲新市場の移転問題で、現在の建物施設の設計図が固まりつつあった2009年から2011年の頃って、よくよく考えてみたら民主党政権時代で、調べたら都議会も2009年7月から2013年6月までは民主党が第一党であった時期。しかも民主党って豊洲移転中止を公約の一つにして選挙で勝ったわけですよね。それなのに、結果的には延期にはなったけれど中止は出来ず、またその時期に今回問題になっているような事柄が色々発生していたのに気がつかなかったと言う事は、彼らに対しての責任もあるのでは。勿論一義的にはちゃんと情報伝達をしていなかった、あるいは不足していた都側に責任はあると思うけれど、でも今大騒ぎをしている民進党側が全くの無実というわけでは無いはず。

最近の報道を見ていると、以前のように「地下水に基準値の四割ものヒ素が」とかいう、馬鹿馬鹿しい内容は流石に影を潜めるようになり、今では当時の決定過程の検証になっている気がしますが、まぁ誰かが人身御供にならないと最後は結着しないだろうな。ただ、例えば図面に書かれていないものがあったとか、図面と異なる箇所があるというなら問題だけれど、ちゃんとプロセスの中で承認されたものがその通りに現在立てられているなら、それは承認者の責任。その人が知っていた知らなかったというのは、最終的にはその人の責任ですからね。多分何百ページにもなるような資料全てに目を通して問題を見つけて是正していく事は現実的には不可能だから、組織や部門や専任者に委譲して、その人達が事実上の責任者で仕事を進めていくのが、今の仕組み。トップが何も知らなくて良いと言う事無くて、トップとして見るべきところを見るという事が重要。今回の地下ピットの話だって、あれだけ大騒ぎするほどの話でもなし、汚染物質がわき出ているわけでも無く、結果的に騒動を利用したい人が利益を得たというような印象。

勿論、何か問題点を感じてそれを指摘して解決する是正するという事は重要で、多くの場合はそう言う事が有耶無耶にされて後からもっと大きな問題として認識されてトラブルになるわけで、だからそう言う行為は否定しないけれど、仮にその問題と思われたものが問題では無いと確認されたなら、それはそれで出した鉾は直ぐに潔く引っ込めて欲しい。世間も、それを理由に批判するのでは無くその行為はちゃんと認識して、では何が理由で原因で問題点として認識されたのか、その根本原因をちゃんと見極めて欲しい。前向きな批判なら幾らでも受け入れるけれど、否定するための批判からは何も生まれないと思う。そう言う意味で、今は知事の責任が問われているけれど、実は都民なり我々が責任あるお目付役としてちゃんと見ていかないと行けないですよね。今回の地下ピットにしても、公開されている図面や議事録にはちゃんと記載されていたわけですから。


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