2016年4月16日

Twitterに溺れる

日本中が熊本地震の対応に追われている時、民進党の公式Twitterが「自民党が」というツイートをして、それを一般ユーザーから責められると、変に逆ギレして、最後は「中の人が個人的に勝手にやりました」と仰る。私はTwitterのアカウントは持っていないし、やりたいとも思わないけれど、こう言うSNS系の事は多少は詳しいつもり。だから想像するに、この人達は自分達の意見は正しく、仲間から賛同されるはず、と言う変な思い込みがあるんじゃ無いかと言うこと。同じような事は、こう言う議員達が災害とは関係無いところで騒ぐのも同じで、こちらは「あわよくば、これを利用して」みたいな思いも、実は無意識に働いているのかもしれない。

後者に関して言えば、例えば「経験したことの無い大きな揺れが何度も続くので、原発の安全性は大丈夫か」とツイートすれば、立派な軽傷にもなるし、それはそれで問題無いと言うことが確認できれば一つの情報でもあるわけです。私は、東日本震災の時に自分の勝手な思い込みで浜岡原発を停止させたのは大きな失策だったと思っています。結局あの停止により国内の原発が点検停止から再稼働出来なくなり、それによって大きな負担を抱えることになったわけです。確かに福島第一原発の事故は大きく反省しないといけないけれど、同程度以上の影響があったはずの福島第二は、これもたまたま幸運なことに水冷ポンプが一台稼働出来たからメルトダウンせずに済んだし、東海はちゃんとシャットダウン出来ている。そこは確率論の話しになってしまうけれど、やはりあの時に科学的な論拠無しに止めたのは失策だったと思うし、それを世紀の英断みたい事を自分で言って自分を持ち上げることに関しては言語道断だと思う。

多分Twitterやその他SNSをやっている人の多くは、自分が正しい自分が正義自分がすべてという思いを何となく持っていて、それが当然だと思っているんじゃ無いだろうか。だから、何か反論されたり、間違いを指摘されると過剰反応して支離滅裂になるんじゃ無いかと。昔は「フレーム」と言ったけれど、文字通り「炎上」するわけですよね。先ずは、自分意見が正しいのであれば、その理由を説明すれば良いと思うし、大体世の中100%の事なんてほとんど無いわけだから、それを前提にして話をすること時代おかしいわけで。

SNSが無かった時代は、回りの身内や仲間内で言いたいことを言うだけで済んでいたけれど、今は不特定多数に一気に拡散してしまいます。それはそれで、ある意味本人にとっては快感にも近いものがある半面、先に書いたように反対に遭うと、それ以上の侮辱とか批判と感じてしまうデメリットもあるわけで、そういうプラスマイナス両面性のあるツールと言うことを理解しないままに、自分をデモンストレーションする部代というような変な思い込みがあるように感じます。あるいは、Twitterというのはある種の免罪符だと思っているのだろうか。別の書き込みで「非常事態リテラシー」なる事を書いたけれど、其れ以前の「情報リテラシー」あるいは「コミュニケーションリテラシー」というものを先ずは身につけないと。それって別にTwitter等のSNSとかでは無く、普通のディスカッションだったり、ディベードだったり、あるいは普通の会話もちゃんとしていない可能性がある、と言う事だと思います。そう言えば、今回問題を起こしている人達組織というのは、普通の時にも何かピント外れしているなぁ、と気がついたりして(笑)。結局、Twitterを使っているつもりで、そのツールに遊ばれている、知らず知らずのうちに溺れていることに本人が気がついていないという証明になりましたね。

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