2016年4月1日

MCとコメンテーターの違い

昨日で終わった「古舘報道ステーション」。放送はもう何年も見ていないので、先天童だったかとか、昨日はどうだったかは記事などで見るしか無いけれど、ウンザリしてみなくなった当時と変わらないというか、もっと加速されていたんでしょうね。

「偏っているんです、私」と言っているけれど、彼がこの番組のコメンテーターとか、ゲストであるならその態度も問題無いと思うけれど、MCとして番組を回して、報道番組として情報を正確にかつバイアス無く伝えるために努力するのがMCでしょう。しかも彼の場合、バングを降板すると公表されてから、実は息苦しかったとか、自分の言いたいことが伝えられないとか、変な言い訳じみた発言をするようになり、まるで自分の本意では無い番組作りをさせられていたみたいな態度を見せるんですよね。確かに制作責任はテレビ朝日という放送局なんだろうけど、実際に番組を作り毎日提供しているのは自分の事務所なんだから、そういう言い方は無いだろう、と。穿った見方をすれば、放送局からのビジネスを切られないために、相手の言いなりになっていた、とも受け取れる発言。

例えばこれが同じ情報番組でも、エンタテーメント性があるような番組だとか、バラエティー系の番組ならまだそういう「味付け」も分かるんですが、それなりに真面目な報道番組という位置付けで自らMCとして、そしてある意味古舘事務所の責任者として制作に関わっていたなら、そういう言い訳はしちゃいけないはず。

以前の久米宏氏の時は、やはり彼は彼なりに自分の意見を言う感じではあったけれど、相手の意見と待避されるような感じで話を引き出していた気がします。話術の巧みさ、と言うのもあったかと。また、一つの番組の中でシリアスな異様やエンタメとかバラエティー系の話も一緒に扱わなきゃいけないので、そういう意味でのメリハリというのも重要だけれど、久米氏の場合は上手く一呼吸入れて切り替えていたように感じますが、古舘氏の場合は最初からお通夜みたいな重い雰囲気がずっと抜けない感じで、何か明るいニュースやバラエティを見るのが申し訳なく感じる位。以前にも書いたけれど、久米宏節を変に踏襲しようとして、ぎこちないスタイルが最初に決まってしまい、それがずっと続いたような感じ。

未だにこの人のイメージというのはプロレスの実況中継のイメージしか沸かないのですが、ああいうリアルタイムに盛り上げる実況中継には、多分この人は向いているんでしょうね。でも、じっくりと聞かせるというか、自分で考えながら何か離すことは苦手なのかもしれない。それって、ボキャブラリとか経験値という物以前の、何か直感的に感じることは表現できても、さらに深く一瞬で見通せる洞察力が欠けているんじゃ無いだろうか。ある意味、「空気を読む」事が苦手なのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿