2016年2月27日

検索する場所

Cnet Japanの記事から、10代が利用する検索サービスでは、Googleに次いでTwitterやInstagramが続いているという内容。振り返ってみると、我々世代(40代~50代)っていうのは、要するに「百科事典で調べる」派なんですよね。「あかさたな...」で言葉から入る。百科事典には図表や写真も入っているけれど、基本「言葉からの検索」。ところがそこから若い世代に遡ると、彼らの時代は写真が当たり前で有り、ビデオが当たり前で有り、それらが自分でもだれからも提供される時代で、かつそれがリアルタイムに流れる時代。だから、少し前の話であっても、遅れて自分のタイムラインに流れてきたりする。データ蓄積をするという考えも無いし、蓄積されたデータを調べるという意識も無い。思いついたときに、周りを見て、見つけたものが結論になるわけです。

これはこれで、データフローが厚く広く何度も繰り返して流れていく現代では「有り」の考え方だと思うけれど、危険なのはその流れてきたデータ・情報の信頼度は測れないこと。本来なら、そのデータの内容や出所、さらには複数の類似情報との比較など、含まれているノイズ成分を除去する作業を自分の知識と経験と技術で行わないと行けないのだけれど、それが出来ないというかやらないのが今の若い世代。「百科事典」は、一応そういうフィルターを通った情報が蓄積されているから、ある程度の信頼性があるけれど、対村井を流れていく情報は、例えそれが大手メディアの情報であっても、例えそれが親友のツイートであっても、本当はそこで吟味しないといけないわけですよね。そういう脆さというか弱さは凄くあると思う。

それと、我々の世代は結局は文字検索・言葉調べだったけれど、今の人達は「画像検索」とか「イメージ検索」もするわけです。我々の頃は、その光景とかイメージを言葉に置き換えて検索したわけだけど、今はそのまま検索ツールに投げれば答えが返ってくる。これはこれで便利だし良いことだと思うけれど、言葉にすることでその光景やイメージの検証作業も行われていたと思うんですよね。だから、その途中で怪しいと感じることもあるだろうし、矛盾を見つけることも有るかもしれない。何も言葉検索が全てとは言わないけれど、別の要素で適合させてみるとか、余分ところをそぎ落としてシンプルにすることで、本質が見えてくることはよくあること。多分、そう言うことが無くなるから、情報に流されることも多々あるんでしょうね。

個人的には、凄く興味深い記事。これで私でも論文が、10本とか20本とか書けそうな気がする(笑)。

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