2016年2月13日

この先コンピューターでやること

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、この先PCでやること・やるべき事について。私が子供の頃(小学生位)、欲しくて欲しくて仕方が無かった物の一つが「百科事典」があります。20巻くらいに分冊されているものや、厚い一冊の物とか、幾つかタイプがありますが、特徴的なのは、当時としてはとても綺麗な写真や図解が付いた「本」であったこと。元々、何故か読書好きで、「事典」の類であっても、その写真や図解見たさに毎日ページをめくるのが楽しみで、そのお陰で後年科学的な事に目覚めたのかもしれません。

最初に自宅にあったのは、確か小学館の百科事典で、「あ」から「ん」まで20巻くらいに、世界地図とかの別冊が確か4~5巻付いていた気がします。で、なんでそれが自宅にあったのかは、もう分からない。私は、まだ小学校に上がるかどうかの時だったから、私用にかったとは思えないし、教育のために交うほど当時の百科事典は安くなく(確か数万円したんじゃないだろうか。今の貨幣価値だと10倍位は行くと思う)、それが不思議でした。でも、その本を見るのが楽しみで、学校の図書館なんかでも良く別の辞典を借りてきたりしました。ただ、その後、その百科事典が買い換えられることは無くて、高校卒業をして浪人のために自宅を出たときもありましたねえ。社会人になってからも、おいてあった気がする。流石に、自宅を建て替えたときに処分したと思いますが...

それが今ではGoogleです。あるいはさらに進化してSiri何て言うのもあります。さらには、Pepperなんていう奴が、自宅に居てこっちが聞く前に答えたりします。「PCの定義」をどう決めるかにも寄りますが、今のテレビなんはPCみたいなものだし、スマホだってそう。一寸したデジタルデバイスは、中身はほぼPCみたいなもので、CPUがあり、システムメモリーがあり、I/Oがあり、ディスプレーが有り、と仕組みだけ見たら立派なPCです。そういう意味で、どんどんPCは我々の生活の中に溶け込んでいるんですよね。ただ、外観だけは、昔ながらのデスクトップやクラムシェルのノートブックPCが残っているから、それらだけを「PC」と呼ぶこともあるけれど、実はあちこち隠れている。大体、最近の車なんか、PC相当のユニットが何個も入っていて、それがLAN(ハーネス)で相互通信しながら動作するわけですからね。自動運転じゃ無い、最近の車ですらそうだから、自動運転とかになると、どうなるんだろうか。

「PCで何しよう」と思っているうちは、まだまだやるべき事が残っている証拠でしょうね。そのうちに、PCという存在が忘れられて、例えば検索するときには手元の端末に問いかけるだけ、メールだって、今のテレビのマルチスクリーンみたいに相手のアバターを呼び出して伝えれば、それがテキストにもビデオにもなって相手に伝えられる。やってることは、PCを利用したものと同じだけれど、PCの存在がどんどん裏方になっていくのがこれからの姿でしょうね。だからパソコンだって、実は形は今のクラムシェルと変わらないけれど、実は今の雑誌のようなデザインになるかもしれないし、カバンやバインダーがそのまま画面や入力装置を備えるようになるかもしれない。2020年には、そんな時代の兆しくらいは感じさせて欲しいものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿