2015年11月1日

ハロウィン狂想曲

個の週末はハロウィンと言う事で、街中でも電車の中でも仮装した人を多く見るわけですが、今年は(これまでもあった?)逮捕者まで出たみたいで、日本人の悪のり気質がここまで来たかという感じ。私も海外出張中に何度かアメリカでハロウィンを経験したことがあるけれど、あれって基本的に子供のお祭りで、ハロウィン自体はどちらかというと日本のお盆とかに雰囲気は似ている感じですね。大人が燃えるのは、仮装の方よりもハロウィン用に自宅を飾り付ける方で、これはもう映画のセットみたいなレベルにまで力を入れる人も。勿論、主役の子供の仮装に付き合って大人も仮装はするけれど、あくまで子供を立てるためにそんなに派手な仮装をするわけじゃ無い。

クリスマスも同じで、キリスト教が多くを占めるアメリカでは重要な日の一つだけれど、だからこそ家族や親しい人達で集まって静かに神に感謝を捧げるというのが本来の姿。でも、日本では何かの記念日・イベントの日になってしまっていますよね。クリスマスにしても、バレンタインデーにしても、日本人の気質もあるかもしれませんが、それぞれ業界が仕掛けたイベントという理由もあるわけで、そう言う意味では日本人がというよりも日本企業がという方が正しいのかもしれないけれど、それに乗りやすい日本人気質というのも問題なのかも。

工業製品等では、海外から入ってきたものを日本人が元々持っている「オタク気質」で作り替えていき、それが逆に海外で人気になるという事はありますが、こう言う無形の文化や行動はどうだろうか。オリジナルを知っている人達から見ると、自分達の歴史や文化が改変されているように感じないのか、それが一寸気になりますよね。日本文化でも海外で変化してあるいは誤解から異質なものになっている場合も有るけれど、それと同じ事が日本国内でも生まれているというのは、ある意味「進化」ではあると思うけれど一寸残念な気がします。

そう言う文化的な事柄以前に、やはり楽しむのは良いけれど自己中心になって回りに迷惑を掛けることを平気と感じることだけは止めて欲しいですよね。今の日本では昔に比べて普通の生活の中でもそう言う経験をすることが多くなってきているので、なかなか難しいことだとは思うけれど、ハロウィンの場合は「仮装」することで自分自身が物理的にも覆い隠されることの気楽さから、それが強調加速されている気がします。そう言う意味で、ハロウィンというイベントは他の日本化されたイベントの中でも過激になりつつあるのかなと言う気がします。

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