2015年9月18日

暴力政党

ドタバタした委員会がやっと採決されて、参議院本会議に上程されたわけですが、確かにああいう混乱の中で重要な法案が決められるというのは決して望ましい行動では無いけれど、それに対して民主党の福山議員が「あのような暴力的な採決では、民主主義は死んでしまう」と言っているけれど、一昨日の夜の様子を見ていると「いゃ、何を言う」と突っ込みたくなる。どっちどっちだと思うけれど、最初に議員のそれもわざと女性議員を盾にして妨害をしたのは野党側、民主党などなわけだから、それに対して委員長をラグビーのスクラムじゃ無いけれど囲って採決させるというのも、やったもん勝ちですよね。その上からモッシュダイブした某議員と書いたみたいだけど、見事にパンチが入っていたような(笑)。

暫く前に議場での野次が問題になりましたが、この妨害行為ってあの野次騒動の何十倍何百倍も悪質だと思うんだけど、なんで誰も文句言わないのだろうか。でみっともないのが、特にここ数日の様子なんかは、NHKなんかでリアルタイムで流れていて、今の時代そのビデオもあちこちに登録されて何度でも視聴できるのに、「俺は手を出していない」とかTwitterなんかで流しているけれど、それって単に本人が記憶していないだけで、かえって危ないんじゃ無いの。

「平和」と言うほどに暴力的方法で主張を通そうとするし、「男女平等」と言っているのに「セクハラ」を利用するわけだし、「憲法違反」と主張するくせに、対案も根拠も示せないし、それを根拠に反論することも出来ない・しない怠慢さはどうなんだろうか。たまたま見ていた情報番組のコメンテーターが、二人が二人とも「民主党の反対意見も分からないことは無いけれど、それならそれでなんでもっと早くから対応しないのか」というようなコメントをしていたのを聞いて、そうだよなぁ、それが多くの人の気持ちだよなと思いましたが、結局最初からやるべき事をやって来ていないから、最後に駄々をこねるしか出来ないんですよね。

反対派の人が良く「個別的自衛権で間に合う」というようなことを言っているけれど、それって基本的に日本に対しての何らかの被害が発生してからでないと対応出来ない、と言う話なんですよね。その被害が、数名なのか数百人なのか、あるいは若しかしたら何万人なのか分からないけれど、犠牲が出るまで手を出してはいけないと言う考えだと思うんですよね。それに対して、何人かで協力して、先ずは何か起こる前に対応しようと言うのが、かなりざっくりした集団的自衛権の話だと思うけれど、そう言う大前提すら無視している気がする。

今のデモにしても、昔のように思想的にあるいは方向性で共感して運動として広がっていくわけじゃ無くて、SNSで受けた情報に無造作に反応して現場に行ってしまう人も多いんじゃ無いかと。年齢層的に、50代以上というのは、60年安保、70年安保の記憶を元に同じような気持ちで参加しているんだろうけど、ああいう時代を知らないでもSNSにどっぷり嵌まっている30代より若い世代って言うのは、単に「戦争反対」とかと言うバズワードに反応しているだけのような気がしますね。だからインタビューとか、先の国会参考人の話とか聞いていても、何か上っ面な言葉が延々と流れていくだけど、ほとんど革新的な話とか反対理由みたいなものが見えない。で、自らが理解している主張がそう言う根拠の無い部分から生まれて、どんどん増幅されていくんだけど、それが達成されない事からフラストレーションが蓄積して、結果的に物理的な手段に訴えるんでしょうね。ある意味、新興宗教みたいな危うさと怖さを感じてしまう。で、そう言うムードがどんどん増幅されて国中に広まったのが、ナチスドイツだと私は思うんだけど。

いずれにしても、それだけ「憲法違反」というのであれば、成立したら違憲裁判をしてみれば良いと思う。勿論、その為にはお金も時間も掛かるけれど、憲法学者の学術的な意見では無くて、現実的な考えという意味で判断を仰ぐのでも良いのでは。一票の格差だって、そうなんだし。あるいは、やはり腕ずくで革命を狙うのか(をぃ)。

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