2015年9月23日

拡大戦略

なんでSEALDsの話がビジネスのカテゴリーなのか。実は、この反原発集会にSEALDsが参加して、反安保だけで無く反原発まで対象に活動しようと言い出したこと。そしたら、数日前にこんな話も出ていたんですね。その後半にも書かれているように、彼らが注目を集めた切っ掛けは安全保障法案に対しての活動から。憲法違反、あるいは専守防衛維持と言う主張は、私は賛成しないけれど多くの違憲の一つとしては尊重されるべきもの。それは、国民としての憲法論であり、あるいは日本という国の安全保障の話でもあるから。

それに対して原発問題というのは、完全に国内問題で有り、さらに言えば経済的な話でもあるわけですよね。強いて共通点を捜すとすれば「反○○」と先頭に「反」の字が付いているくらい。あと、その行動が政権に対しての反対運動であると言うことくらいだろうか。ただ、それ以外は全く種類も内容も異なる事柄だけに、それって反安保法案が終わったから次の話題に乗り換えたの、年か映らない。

全く共感も賛同も出来ない彼らの活動ではあるけれど、強いて一つ良い点を上げれば、一つの問題に対して純粋に自らの主張を継続していることでしょうか。その主張は、多分に感情的で扇情的で、理解するためのロジックは存在しないけれど、それはそれ、ある意味「若いから」で許されてしまう事でもあるんですよね。で、同じノリで反原発を言うのは良いけれど、出もそこでまた同じような事を繰り返したら、外から見ている人間にすればどんどん彼らの活動が薄っぺらくなっていくように感じるのでは。

国会前のデモでもそうでしたけれど、彼らの周りだけ見れば確かに学生中心の若い年代中心の出もだったかもしれないけれど、一寸引いて周りの様子を見れば、いつも飲み慣れだ団体や組織の上りが何本も乱立している状況で、あれって音声を絞ってその様子だけ観ていたら、反安保のデモなのか、反原発のデモなのか、それ以外の反○○のデモなのか、多分区別が付かないのでは。それだけ、同じような集団が、同じようにやっているようにしか見えない。「反○○」で既存の体勢に反対することは良いけれど、じゃぁそれに対して何をどうするのかと言う事も平行して主張しないと何の意味も無い。「反安倍」と言うのは簡単だけど、じゃぁ安倍首相が辞任して麻生さんが首相になったら、それはウェルカムなのだろうか? もっと悪くなる気がするんだけど(笑)。

今いる人が気に入らないのは分かったけれど、じゃぁどうしたいのかと言うのが見えない。一人に対して、一つのことに対して反対するのはピンポイントだから簡単だけど、それを否定するという事はそれ以外の全てを認めることにもなるわけで、その中にはその否定していることよりももっと悪いことも含まれているかもしれない。主張するのであれば、何をやりたいのか言わないと。「反原発」には賛成出来ないけれど、「太陽光発電で置き換えよう」ならまだ理解出来るように。ただ、そう言う具体的な事を言えば言うほど、実は反論やツッコミどころも増えるわけで、結局それが怖くて言わないんだよな。そうやって、反安保、反原発、次は反基地運動だろうか。あるいは、反TPP ? 世の中には幾らでも賛否あるテーマはあるから、活動するのに事欠かないとは思うけれど、余りに急激に拡大すると空中分解するのが常だから、それを理解していないだろう彼らも分裂するんじゃ無いだろうか。まぁ、その時にその時で、また別の名前で集まるんだろうけど。

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