昨日は広島へ原爆が投下された日であり、朝から記念式典が行われたわけですが、昔は「悲惨な、可哀想な」という気持ちで見ていましたけれど、ある程度社会に出て仕事をして色々な場面に遭遇するようになってから、あの記念式典(長崎も同様ですが)って、何を目的として行っているのか疑問を感じるようになりました。「何の」というのは、原爆で亡くなった人達への慰霊の気持ちをみんなで表そうとしているのか、原爆を含めて何か政治的なメッセージを出そうとしているのか。
例えば、自分の身内が何かの事件で不幸にして亡くなった場合、例えば自動車事故で亡くなった場合。その後の毎年の法事の時に、生前のことを懐かしんだりすることはあっても、交通事故撲滅とか、自動車の使用反対、みたいな事をその法事の主題として扱うことは無いと思うんですよね。勿論、話の規模が違うから、ああいう機会に核兵器根絶と言うようなテーマに関して改めて話をしたり、活動を進めるのは良いと思うけれど、それは同じ広島や長崎で開催するのは良いとして、あの場所で長い時間を掛けて話をするのは打倒なんだろうか。
今年は戦後70年と言う事で、参加者の年齢も上がり、しかもここ最近の暑さのためにテントが用意されたりしていますけど、そう言う体力的な事も勿論あるけれど、式典として長ければ良いという物でも無いわけで、全員で慰霊をして代表者が献花して、可能ならはそれぞれの宗派なり宗教の慰霊を行い、それこそ朝涼しいうちに30分位で全員で行うセレモニーは完了。その後、体育館なりで、必要な演説とかはすれば良いんじゃ無いかと。多分、参加者の多くは自分の身内なり親族なりの慰霊を済ませたら、後はその思い出と共に静かに一日過ごしたいんじゃ無いだろうか。
余りメディアでは報じられないんだけど、結構政治活動の団体南下もあの集会場の回りには集合していて、今回も安倍総理の演説の時には罵声が飛んでいたみたいだけど、そう言う行為は別の場所でやりたいだけやって貰って、本当にあの場所は慰霊の場所にして欲しいですよね。「70年の節目」という言葉が今年はよく使われているけれど、人間の場合、三十三回忌が一つの区切りで、その後四十三回忌、四十七回忌、五十回忌とあって、その後は五十年単位になるんですね(百回忌、百五十回忌、...)。広島と長崎の両記念日の間なり、終戦記念日の前なりに「非核の日」みたいな物を設定して、世界に核廃絶を訴える日にし、それぞれの記念日は地元で静かに慰霊をする日に来年からは買えたらどうだろうか。関係者家族も高齢の人が多くなっているわけで、今日のような過酷な天候でしかも慰霊とは直製関係無い話を聞かされることが、本当に良いことなのか疑問に感じる日でした。
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