2015年7月1日

ブラックなメディア

沈静化しつつあった(?)、「マスコミへの圧力」発言事件ですけど、その中の一人、大西議員の弁明会見(その1その2その3)がまた物議を。自身が「マスコミはつまみ食いをする」と言っているのに、何でさらにつまみ食いの機会を与えようとするんだろうか。その当たり、脇が甘いというか、人間の本性として取り繕うとすればするほど逆にぼろが出るのかもしれない。実際どうだったかは不明だけれど、少なくとも記事に書かれていること、記事に書かれた受け答えの内容は特に変な部分は無いと思うけれど、言葉尻を取られそうな部分はあちこちにありますよね。少なくとも政治家とか社会的な責任を持っているような人は、もっと注意しないといけないでしょうね。その点この人はまだまだ脇が甘いと思うし、冷却期間も取らずに再び燃料投下しちゃうのはどうかと。

ただ、今回の色々な報道を効いていてやはり違和感を感じるのは、メディア側だって「報道の自由」を声高に主張するだけで無く、真摯にそう言う違憲もあると言うことを受け止める必要が有るんじゃないかということ。その報道が正しい、間違っている、良い、悪い、は個別の読者が判断するものではあるけれど、例えば朝日新聞や毎日新聞に東京新聞、さらには沖縄の二紙に幾つかの地方紙が極端な論調を掲載していることも事実。これが正解と言う事は社会生活の中では少ないわけで、色々な事柄の中で妥協点を見つけてワーストでは無いベターな選択肢を積み重ねていくのが社会のはず。その中で、自らの主張のみが正義みたいな報道の仕方をしているのはどうかと。

メディアは「第四の権力」と言われて、それだけの影響力も持っていると思うけれど、他の三権(行政、立法、司法)が独立性を担保しつつ相互に監視しているのに対して、メディアはその相互監視システムには含まれない。唯一、放送局免許が行政に管理されているくらいだけど、それ以外の部分はフリーハンドと言っても良いくらい。例えば「メディアの暴走」が発生した場合、どうするんだろうか。最近話題になった「ブラック企業」じゃ無いけれど、「ブラックメディア」みたいなものが無いとは言えない。世間がそれを指摘しても「いゃ、うちはブラックじゃ無いです」とメディアが配信したら、だれが「いゃ、それは違う」と主張するんだろうか。

メディアは、自分の津後の悪いことは取り上げないし、場合によっては切り貼りして有利な方向へ議論を誘導することもあるのに、四権の中でそれを相互に監視して是正する力っていうのはどこが責任を取るのだろうか。司法くらいしか思いつかないけれど、それだって個別に訴訟が出されないと有効では無いわけで、それとは異なるもっと大きな仕組みが必要じゃ無いだろうか。勿論、最大の監視者は「読者」であり「視聴者」ではあるけれど、正直なところその影響力は小さいですよね。最近でこそ、インターネットの普及で様々な方法が生まれてきていて、以前よりは影響力も大きくはなっているけれど、まだまだ。そんな中で、何らかの方法でメディア以外の三権が抑制する・牽制する・指摘する、と言う事もある程度必要になるのかも。

そう言う意味で今回はメディア「報道の自由への侵害、圧力」と声高に唱えているけれど、我が身を省みると言う真摯な態度も必要なのでは。「我々は正しい報道をしている」と疑いを持たないのは、驕りであり誤謬性を無視するものであるんじゃないだろうか。時には「少数意見を尊重せよ」と訴えるのに、別の時には僅差であっても「民意はこうである」と言い切ったり、原発事故による直接の被害だけで無く風評被害に関しても東電の責任追及をするのに、自らの誤報に関しては削除はしたものの、謝罪もせずにしかもそこから派生した誤解、いってみれば誤情報による風評被害に関しては何も責任を取らない朝日新聞とか、一部の会社ではあるかもしれないけれど、「メディア」としての責任も問われているという認識は持って欲しいですよね。

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