2015年6月12日

人とデジタルの境界線

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、Windows10のCortanaのオリジナル、MS北京リサーチのXiaonaについて。

SF好きにとって、コンピューターとの自然な対話というのはある意味昔から語られている「普通の光景」でありながら、実際にそれが実用化されたとはまだ言えない難しい技術。一つは、音声認識技術や音声合成技術が未熟で、どうしても最初のI/Fの部分で戸惑ってしまうこと。次に、認識した「会話」からそれに相応しい「受け答え」を作る技術が難しい事。膨大なデータの中から適当な文字列を引っ張ってきて回答することはそれ程難しくないと思うけれど、それで自然な会話が成立するとは思えない。

昔はこういう技術をひとまとめにして「人工知能」という言い方をしていましたが、知能というよりは検索技術あるいは最近だとデータマイニングもそれに近いのだろうか。いずれにしても、一頃下火になったように感じられたこの分野の技術が、AppleのSiri登場からぐっと身近で且つ積極的な技術になってきたように思います。

人類というのは「言葉」という情報交換技術を持ち、グループの中で情報共有が出来瑠ようになり、さらにはその「言葉」を表す「文字」を発明することで、情報蓄積も可能になり、一気に今の文明が花開いたわけですが、もしコンピューターとの「会話・対話」が可能になると、情報交換・情報蓄積に加えて、情報加工、あるいは情報拡張なんかも可能になるわけですよね。例えば、世界中で会話された内容で類似したようなもの、関連がありそうなものから、新しい情報を推測したり、別の側面からの情報が生まれるかもしれない。全く別の視点のもの同士が結びつくことで、それまで想像しなかったようなものが誕生したりするかもしれない。あるいは、重複や冗長なものがどんどん排除、最適化されて、もっと効率的な経済活動あるいは製造技術が生まれるかもしれない。半面、全てが一元管理されるから、今のマイナンバーで言われるようなプライバシーとか秘密保持みたいな事が出来なくて、混乱も生まれるかも。ただ、それもリスクと利益のトレードオフなんですよね。

コラムの最後に、実際にメディア関係者がXiaonaと会話して、メディア担当者が気がつかなかったと言う文章がありますが、今でもSNSでコミュニケーションしている中には、もしかしたら同じようなことが生まれるかもしれない。文字での会話なら、エンジンさえあれば可能ですからね。そう言う意味で、既に人とデジタルの境界線は凄く近いところまで近づいているのかもしれない。もしかしたら、知らないうちにデジタルの境界線の中に人間が取り込まれて気がつかないまま一生終わる時代になるのかも。SF的ではありますが。

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