2015年5月1日

安倍総理のスピーチ

色々と賛否分かれる、安倍総理の英語での演説。内容に関しては一寸横に置いておくとして、40分(45分?)の英語スピーチは、まずは誉められるべきでは。仕事でミーティングやプレゼンテーション等もう30年やっているけれど、それでも一人で30分以上話しをするのはなかなか大変です。日本語でだって、30分とか40分講演しろと言われたら、結構大変だと思う。

で、総理のスピーチで気になったのは二点。一つは、ちゃんと前を向いて話しをしている様子は良かったけれど、やはり原稿を見ながらのスピーチで、しかも、多分読み間違いしないように一枚に1行とか数行程度書いてあったんじゃ無いかと思うんですが、次々に原稿用紙を捲りながら話をしている様子は、一寸頂けませんでした。日本人にありがちな、ずっと下を向いて原稿を読む姿よりはずっとましだったけれど、もう少し目立たないように原稿用紙を捲れば、もう少しスマートに見えたんじゃ無いだろうか。多分読みやすいように一枚にすこしずつ書いてあったようなので、捲る行為が何度も何度も繰り返されるわけで、あれも一寸うざったい感じ。せめて演台の上で左から右に滑らせて横移動する程度の動作(所作)なら良かったと思うんですけどね。

もう一つは話し方というか、言葉の句切り方。英語の場合「主語+動詞(+補語/目的語)」というのが基本的な構文ですが、その動詞以降の部分で自分は何をしたいのか、何を主張したいのかと言う事をちゃんと言わないと、多分アメリカ人的には理解出来ないと思います。例えば、一つの句なり節なりで、本来なら全部ちゃんと言うべきところを途中で何か空白があると話しが繋がらないし、聞いている方としても腰を折られたような印象を受けます。日本語でも、話をしていて途中でいきなり黙られるような「がくっ」とするような感じというか。さらに複合語や熟語の様な、そのひとまとまりで一つの意味を成す言葉が途中で切られていたような場面もあり、そこが残念でした。発音の上手い下手を要っている人も居たけれど、上手くは無いけれどそんなに悪くなかった気がします。でも、変なところで区切りをいれるから意味としてはなんとか伝わったかもしれないけれど、聞いている方としては疲れたスピーチだったろうなと推測します。

今回の演説に関しては、当然内容屋使用する語句の精査はしているだろうし、その中で抑揚なりスピードなり、あるいは拍手を想定して間を置く場所とか、事前にかなり練習したと思うんですよね。その中では当然スピーチのライターとしては、「ここからここまでは一気に話しをしてください」とか「こことここは強調して対比してください」とか、当然話し方のレクチャーもしていたはず。現行には、そう言う話の仕方に関しての補助は無かったのだろうか。個人的には、その点が一番残念だったかも。それでも、内容にしても話し方にしても、十分合格点を貰える演説だったとは思いますが。

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