2015年4月17日

メディアの気概

テレビ朝日とNHKが、その報道姿勢に関して自民党が聴取したことを「メディア圧迫・報道の侵害」等という意見が、他のメディアや野党からも出ているけれど、そのメディアの一つ産経新聞のこの記事がまさに正論だな、と。特に最初のページの一言

「この人たちってすぐに「圧力」とか「委縮」とか、言いますよね。情けなくないですか?」

そそ、権力を監視し批判する人達が、その権力からの圧力を気にしたり、それによって萎縮するって、本末転倒な気がする。そりゃ限度はありますよ。例えば悪に立ち向かう警察官だって、だから取って自分の命を捨ててまで何かするとなると相当の覚悟が必要、あるいは仮に自分の命を優先しても決して攻められないように、メディアの報道だってあるところまでの限界はあるだろうし、それを何処まで追求できるかがメディアとしての気概、矜持じゃないだろうか。で、このメディアの人達は、こういう組織に対してはこういうことを言うけれど、事個人に関してのことになると、個人の人権とか無視した報道がまかり通り、それに対しては「報道の自由」の一言で切り捨てるくせに。

今回の件で言えば、放送事業が免許制である以上は、監督官庁なり、関係する委員会なりがその内容に関して意見を聞く、審査するというのは当たり前だと思うし、放送局側が問題無いと考えるならそれを主張すれば良いだけのは無しでは。民主党だって与党時代にメディアに対して注文を付けているわけだし、さらに先日もNHKの会長を何度も呼び出して責めているわけですからね。野党と与党は違うと言うのであれば、そんなに影響力の無い活動なんか止めて議席を返して欲しいですよ。

放送に関しては免許制度で制約もあるわけだから、そこに某かの制限が発生するのは仕方ない。だったら、放送よりも遥かに制限の少ない新聞などで自らの立場を主張してもいいのでは。あるいは、メディア全体の問題だと考えるなら、メディアスクラムでも組んで意見すれば良いんじゃ無いの。先の産経新聞全ソウル支局長の出国禁止事件では各社それぞれ批判する意見を出していたわけだし。

さらによく分からないのが、日本外国特派員協会が「あの」古賀氏を読んで話を聞くという事。メディアとして双方意見を聞くというのは基本だと思うけれど、実際にあの人の話を聞いてどう思うのか、是非どこかで全員の意見を開示して欲しいところです。まぁ、世の中には100%の正解はないから、シンパシーを感じてしまう人もいるんだろうけど。彼らがどう感じて何を報道するかは、それぞれの記者なりメディアの自由ですけど、今の時代はその情報を受け取る視聴者側も自分でネットワーク経由で様々な情報を受け取っていて、昔と比べて情報を受け取るバイアスも上がっているし、そこに某かのフィルターを持っているのも事実。「圧力を受けた」とメディアが言っても、「そんな事は無い」と思って居る人をさらに説得させて翻意させるのが今のメディアの仕事。その努力を「報道への圧力」「政治の介入」という便利な一言で済ませているのでは、メディアのメディアとしての存在意義を自ら捨てているんじゃないだろうか。

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