ある番組の街頭インタビューのビデオで、否定的な意見ばかり抽出していると安倍総理がコメントすると、それがメデイアに対しての圧力になると言う野党。そもそも民主党自体が与党時代には言いたい放題やりたい放題やっていたのに、何をか言わんや状態。その年間予算が国会の承認で決まるNHKがある程度国ないし国会、あるいは与党の方向性を意識するのはまだ分かるとしても、100%民間からのお金で運営されている民放が顔色をうかがうというのはおかしな話。勿論、放送局に関しては免許制度が有るから、許認可権を意識いてバイアスが掛かることがあるかもしれないけれど、ペーパーメディアは自由に発行出来る権利があるわけで、そこには自らの意図と発行する意思があれば、基本的に自由なはず。
大体、「首相の威光が」なんて言われて、何でメディア各社は「弊社は言論の自由を尊び、いかなる権力からの圧力にも屈する事は無い」と否定すべきなんじゃ無いの? 特定秘密保護法の時には、メディア各社は取材の自由が、報道の自由が、と言っていたけれど、あれだって本当に開示公開することが必要な事であれば、あえてその法を破っても報道するのがメディアの存在意義じゃ無いのだろうか。自らが自らの役割を否定してどうするのと思う次第。
アメリカの番組だと、所謂ディベート対決みたいなものや、MCがゲストを招いて徹底的に討論する番組が良くありますけど、日本でもああいう番組をやれば良いのに。その中で、特定の考えに凝り固まった人は淘汰されると思いますよ。ただ現状では、ホスト側の所謂「論客」と呼ばれている人の知名度や技術にゲストが対応しきれないために、理性的な討論や批評が続けられずに、相手の術中に嵌まると言うケースが殆ど。制作側もそう言う作り方を意識しているのか、それを売り物にしているのか、大物と言われるホストが番組を回せば良いと思っている節があるので、結局はその人の考えしか正しい凍結論が出ない。あれじゃぁだめですよね。もっと、自分とは異なる反対の意見や考えでも、それを先ず受け入れて、しかし自分が考えるこれこれの理由からそれは違う、おかしい、正すべきと言うロジックをちゃんと展開出来るだけのホストMCが欲しいですよね。
そういう人がちゃんと何人もいれば、例え日本の首相がアメリカの大統領くらいの権力を持っていても、ちゃんと正しいことは正しい、悪いことは悪いと言えるメディア活動が出来るはず。実際ウォーターゲート事件とかあったわけですから。そう言う意味で、メディアの今の態度には情けなさを感じるくらいです。だから、インターネットの普及に伴い、良くも悪くも一般人からの情報発信が爆発的に増え、それが良くも悪くも一次情報源として認知されていく時代になっていることの方を、メディアとしては危機感を感じないと。そう言う時代なんですから。
0 件のコメント:
コメントを投稿