2015年2月3日

横柄なメディア

まだ確実に確認されたわけではないとは言え、残念ながら後藤さんの生存はかなり厳しい状態になってしまったこの週末。後藤さんに関連して色々な意見やコメントが公開される中、一寸個人的に違和感を感じている話の一つが、今回の事件が「言論の自由への挑戦」であり、「そうなった責任は政府(=安倍首相)にある」という話にしている人達がいること。

元々の事件がフランスの風刺画が発端だったことで、確かにあの乱射事件は言論の自由、報道の自由に対しての挑戦といってもよいけれど(個人的には、あの漫画の内容がフランス的なエスプリだとは理解するものの、当時者のイスラム系の人や自分に取って「風刺」という範囲に収まる物かは疑問だけど)、あの事件と今回の湯川さん、後藤さんの拉致・殺害事件とは直接は関係無い話でしょ。実行者は同じ「ISIL(いわゆるイスラム国)」と同一かもしれないけれど、別のグループかもしれませんし。事件の発生事象としては、先ず最初に湯川さんの紛争地への侵入があり、その湯川さん救出のために後藤さんが後を追い、残念な結果になったという流れだと思うから、言論の自由云々とは全く別の事情でしょう。フランスの風刺画のように、例えば後藤さんが世界各地で開催している現地の状況報道の内容をISILがけしからんと判断して、意図的に後藤さんを拉致したのなら、それは「言論の自由への挑戦」と言えるだろうけど、そうでは無い事はこれまでの経緯を見ていると明らか。後藤さんがジャーナリスト活動をしていたと言うだけで、「報道の自由への挑戦」を声高に拡散している一部のメディアの様子を見ていると、言い方は悪いけれどこの事件を利用して自らの利益拡大を意図しているようにしか見えません。ISILがどこまで意図していたかは不明だけど、英米の人質救出のように何かあっても直接的な反撃を受けるリスクもないし、宣伝効果としては影響の大きそうな「日本人人質」という素材を上手く利用して宣伝戦を展開したISILの術中に見事に嵌まっている日本のメディアですよね。

さらによく分からないのが、それらの事柄の責任を政府の責任と攻撃の理由にしている一部の人達。「国民の保護」という意味では、確かに政府には一定の責任は発生するだろうけど、それも無限に生まれるわけではない。特に後藤さんの渡航に関しては、事前に思いとどまるように説得作業もあったと言う事で、そうなると政府として出来る事も限定されます。フランスの新聞社襲撃事件後「Je suis Charlie(私はシャルリー)」と言うメッセージを掲げて襲撃事件を批判する行動が広がり、今回の場合は「I AM KENJI」と言うメッセージで後藤さんの救出を願う運動が広がっていました。それをもじって、とある夜の番組に出演していたゲストが「I AM NOT ABE」というメッセージボードを出して今必要な行動を取らないと等とコメントしていましたが、この人やっぱりなんか変だなぁ。特定の一事象を否定すると言うことは、それ以外の不特定多数の事象を肯定するという意味ですから、その中にはISILや同様のテロ集団や、それら全てを肯定する事も含まれると言うこと。アッチ系の人達って、都合よく自分達の良いような解釈しかしなくて、それが逆に自らを否定するような結果になる事が多い感じがしますが、結局プレゼンテーション性(見栄え)だけみてやってみたら、その内容は違ってましたみたいな結果になった浅はかさ。

「言論の自由」を言い、後藤さんの活動を賞賛するメディアだけど、それなら後藤さんのコレまでの活動や実績を特集する番組をISILに対してのメッセージとして放送しても良いわけですよね。でも、どこのメディアもそんな番組や情報は提供しないわけです。百歩下がって、民放系はスポンサーが必要と言うのなら、NHKがやれば良いけれど、国際放送でそんな番組を流すわけでもない。本当なら、そう言う番組なりを制作して、アルジャジーラ等の海外のメディアに配信することが「言論の自由」に対しての主張になるはずじゃ無いの? でも、彼らが言うこと・やることは「言論の自由が侵された」と自らの権利を主張するだけ。それって、やり方が違うだけでISILと同じ事をやっているようにしか見えませんね。

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