2014年9月16日

メディアは製造業か

周りから非難の嵐に見舞われている朝日新聞ですが、いわゆる慰安婦問題の吉田証言、福島第一原発の吉田調書のみならず、先日は2年前の任天堂社長のインタビュー記事を、実はインタビューできなくて、会社のHPに登録されている動画等からインタビュー記事を創作したという話まで出てきました。両吉田問題に関しては、すーごく譲歩してスーーー極好意的に解釈すれば、まぁ取材活動の不足、取材した記者の未熟さ等から正確な記事が書けなかった、とも言えるけれど、このインタビュー創作記事って、もうメディアの仕事じゃ無いですよね。言ってみれば、「新聞」という商品を毎日売るために、その中に入れる「商品」を無理矢理作っている感じ。例えは悪いかもしれないけれど、「全て手作り」が売りのお弁当屋さんが、たまたまその日は一品作り損ねてスペースが空いてしまうので、出来合のおかずをその隙間に入れて売るような物。

食べた方は気がつかないかもしれないし、偽装食材みたいな物を使わない限り健康被害も無いだろうから、それはビジネスとしては問題無い対応なんだけど、でも「全て手作り」と謳っている以上その商品に関しては「でも今日だけはご免なさい」とか一言つけないと「偽装弁当」になっちゃうわけですよね。新聞の記事の中にも、前日発生した事件や事故の報道もあれば、期間を費やして取材している特殊生地みたいな物もあるだろうし、連載小説のような物もあるでしょう。そこに、記者なり新聞社の意思とか意図が入る事は構わないけれど、例えば相手が言っていないことを「言った」とか、相手に会ってもいないのに「会った」とかとして、記事を書くのはその情報を読者に伝えたいからでは無く、紙面に空白を作らないための「文字列」でしか無いですよね。

いわゆるペーパーメディアには、大手新聞社のような「新聞」発行会社から、ゴシップ記事等のタブロイド紙、さらには雑誌、週刊誌、ハードカバー等色々な種類がありますが、「新聞」と名付けられたペーパーメディアに関して言えば、「新聞=新しく耳に入るもの」と言うまでも無く、情報提供が目的のはず。HPに公開された動画を要約して文章にするのも、情報提供作業の一つではあるけれど、でもそれって新聞紙面でわざわざするようなことでは無いし、ましてやそう言う作業の元に作成された「記事」である明記も無い。

新聞の枚数は、もしかしたらある程度修正可能なのかもしれないけれど、それでもせいぜい半面(2ページ)単位での増減が限界ですよね。あれも、真ん中に半紙を入れるのは作業としては面倒だから、出来れば1枚(4ページ)単位での調整西田井だろうけれど、そうすると掲載可能な紙面の量ってかなり違ってきます。少し記事が足りなくて空白が出来そうだから、1枚減らす何て言うと大変な作業になる。だから、仮に予定していた記事を取り消さないといけない場合には、無理にその他の記事を追加したりするんじゃ無くて、どうどうと「この部分は意図的に空白になっています」と入れれば良いんじゃ無いだろうか。製造業であるなら、コミットしたものをコミットした時に渡さないといけないけれど、メディアはそう言うことは要求されないはず。勿論、伝えるべき情報は毎日事実上無限にあるだろうから、紙面に空白が出来る事は無いだろうけれど、結局つまらない情報や記事では無く、相手が興味を引かれる、それによって新聞が売れる「記事」という商品を掲載しなきゃいけないから、こういうことになるんでしょうね。

両吉田問題では、社内のエリート部隊が担当していて、だから相互チェックが機能しなかったと言っているけれど、逆に言えばその程度の力量しかない「エリート部隊」が朝日新聞の中ではトップの地位にあるわけで、それって自分達の力量の無さを自ら高下している恥ずかしい行為だと思わないのだろうか。「メディア」というのは、利益とか売り上げと言うようなものとは別の世界の業種だと思っていたのが、いつの間にか「話題(情報とは言わない)」を製造して販売する製造業の一つになってしまったんですね。

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