2014年7月1日

悪びれないFacebook

ちょっとした騒ぎになった、Facebookの情報感染実験。実際に実験が実行されたのは2012年のことで、その結果をまとめた論文が公開されたことからFacebookの行為が分かったわけですが、個人的に違和感を感じるのは記事で釈明している担当者の説明が何か謝ることもなく当然のことのような印象をユーザーに与えること。本来なら黙って隠れて行ったことだから、先ずは謝るべき何だろうけど、それがなくて悪びれることもなく「だからなんなのよ」と、居直りの雰囲気すら感じます。

もともと、どう言うアルゴリズムでユーザーに対して情報提供するかは運営側のKnow-Howであるわけだから、そのアルゴリズムが何らかの意図なり目的も含まれる可能性は大いにあります。バイアスと言っても良いかも。Googleの検索結果を見ても、直前に実行した内容が明らかに反映されている場合も有り、それがその検索目的とは全く違った結果になったりすると、あぁ何とかしろよと悪態つきたくなったりしますが。どの様に実装するかは別にして、何らかの意図や目的があって、その結果をユーザーは受け入れているので、そのまま「チューンナップ」という事で今回の様な事が裏で実行されていたら、それって我々には分からない事で、そのまま流されていたかもしれない。Facebookにしても、調整をしてみてどの様な変化があったか確認できたら、そこから最も望ましいと思われる設定にしました、と言っていればこれほどの騒ぎや抵抗にはならなかったでしょう。

問題なのは、実験の実行者側がユーザーに無断で操作をしてその結果を公表しているのに、そのことに関して謝罪するでも無く、公開後のユーザーの反応に対して謝罪していること。勿論、予め説明して同じ実験を行うと、本来の条件とは異なる環境での結果になるので実験の目的にはそぐわないかもしれない。でも、だからといって無断で実験を実行して言い理由にはならないわけで、それは対象者の人数とか期間とかは全く別の事柄のはず。本来だったら、これこれこういう実験を無作為にバックグラウンドで行う旨を発表して、その上で意図しないユーザーはその中に含まれない対策をするなりして実行しなきゃいけないはず。社会的インフラとして、それなりの地位と規模に成長したFacebookだからこそ、そう言う責任も大きいと言う事をもっと自覚して貰わないと。

今現在は、諸般の事情でFacebokアカウントを作って利用していますが、正直なところ使い勝手の悪さとかその効果に以前に増して疑問符が増えているときだけに、こういう行為よりもその態度の様子を見て、ますますネガティブな雰囲気になってしまう。

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