2014年1月24日

情報創作

先日、アメリカの上院議員と安倍首相との会談の様子を、こんな具合に報道している中国メディア。確かに、何か卑屈にぺこぺこしている様に見えるけれど、実際にはここに登録されている映像の一連のやり取りの中の一瞬を切り出したもの。映像を見ると、和やかに会談が始まる様子は理解出来るけれど、特に卑屈になっている様子は当然無いし、しかもアメリカ側はケネディ大使も含めて複数の随行者がいるわけで、そう言う意味では立場的には日本の方が「上」な訳ですよね。

全体を見れば「○」という話であっても、その一部を切り出して「△」とか「×」というキャプションを入れると、元の内容や意味とは全く違った情報になることは良くメディアがやる手段。中国や韓国なんかも、全く関係無い写真を持ち出してきて、日本軍のなんちゃらとか軍国主義がどうたらとか言うけれど、元を正せば全く違う時代の写真だったり、別の場所の写真だったりするわけで、印象操作というのは恐ろしいなといつも思うわけです。まぁ、日本のメディアだって、恣意的な報道をする事はあるわけで、特に言い方とか言葉遣いとか見出しとかを使い分けることで、全体として嘘は入れて無くても、その切り貼り具合とか表現方法で、読者が受け取る印象が全く異なるものになってしまう。情報だから、途中でフィルターを通過したりノイズが入ったりすれば、当然受信したデータも変換されたものになるわけで、その為に本来の情報伝達ではCRCとか入れてデータ改変に対応する対策をこれでもかと適用しているわけです。が、リアル社会のメディアではそう言うものは存在しないので、どうしてもノイズ交じりの意図的な情報でも「真実」と感じてしまうのが問題。

まぁ、あの国には報道の自由は存在しないですし、あっちの国のメディアは異常にバイアスが掛かっているわけで、そう言う中から出てくる情報の信頼性は無いにも等しい。それが、組織や国の態勢を通過してきたから結果としてひずんだ状態で外に出てくるのは、まぁ仕方ないとしても、最初から意図的に情報を操作して拡散させようとしていることは、言語道断と言って良いんでしょうね。言ってみれば、情報のロンダリングみたいなもので、全く裏付けの無いものでも、大手のメデイアなり国家の名前の元に出されると、それが正しいモノとして周りが評価してしまう。本来なら、その情報のソースや途中で扱うメディアの責任ではあるけれど、それ以上に情報の受け手してのリテラシーを高めないと駄目ですよね。

逆の見方をすれば、その程度の事もやらないと自らの主義主張を訴えられないほど切羽詰まった状態にいる、とも言えるんじゃ無いかと思います。相手に分が無くなりつつある時、あるいは次の一手が見つからない時、人はどうしても些細なことや意味の無いことで相手を兎に角攻撃することで優位性を保とうとするものですからね。昔から会議では「声の大きい人が勝」ったり、「自分が喋って相手に反論する時間を与えない」なんて言う方法で自分の意見を通そうとしたモノですが、最近の会議では日本人同士の会議で会っても「5W1Hの定義」とか「コミットメント」なんていうことをしっかりして、「言ったからには完遂してもらう」方向になりつつあります。また無駄に時間を消費する人・させる人派どんどん敬遠されていくもの。そう言う機運を世界的にも浸透させることが、日本の隠れた戦略になるんじゃ無いだろうか。とは言っても、一筋縄ではいかないあの国とあの国ですからねぇ...

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