2013年10月31日

特ア?

毎日新聞のコラムから、「特ア(特定アジア)」について。この編集委員氏は、超難関なエリート校でこの新聞社が嫌う「特ア」が常識化していることが大層ご不満なようで、その原因としてネットにアクセスして情報収集するのはいいけれど、自分の欲している自分の好みの除法しか集めないので、どんどん特定の考え・思想に傾くと言いたいらしい。

で、最後に「特アなんて悲しい言葉」と言っているけれど、その前に自ら「タカかハトかといえば、エリートと呼ばれる学生たちはタカに近い。」と、その考え方・思想を動物に例えて分類する言葉に置き換えているけれど、それって「特ア」を使うことと同じじゃ無いの? 「特ア」とラベル付けすることは好ましくないと言いながら、みずから「エリートはタカ派」とラベル付けしている矛盾に、この人は気がつかないのだろうか。いゃ、多分気づいているけれど、いかにも菜言葉を並べて多少の矛盾は無視して、自分が言いたいことだけと言いたいだけなんだ、とラベル付けしておこう。

隣人と仲良くすることは大切なことだけど、些細な諍いから大きな事件が生まれるのも隣人同士のトラブルからということも多いんですよね。ましてや、「隣人」ではなく「隣国」な訳です。隣人なら、不満があれば引っ越して自らトラブル発生を防ぐことも出来るけれど、隣国ではそれは出来ない。お互いに不満はあっても「我慢する・譲る」ということが必要で、判官贔屓でなくても日本は努力していると思う反面、隣国達はこれ幸いと言いたい方出しているというのが、多くの日本人の感覚だと思うんですよね。でも、この人は、それもラベル付けだと言うんだろうなぁ。

いろいろなメディアが今の世の中にはあって、昔はテレビやラジオや新聞が、そういう言葉や流行を作っていたけれど、いまでは個人の一言があっと言う間に世界中に流れていく時代。それは、一つ一つの言葉が小さくても、共感する人が多ければ一気に世界中の常識になる可能性もあるわけです。「特ア」という言葉は、確かに品が無い言葉かもしれないけれど、でも今では多くの人が認知しているという、その理由をちゃんと認識するべきだと思いますね。まあ、そう言うことを言っても馬耳東風なのかもしれないけれど、こう言う人達には。

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