2013年8月7日

キラキラネームのリスク

「キラキラネームは患者取り違えの危険性が増すから止めて」と静岡県内の小児救急に関わる男性医師がTwitterに投稿したことが議論を呼んでいるという記事。「キラキラネーム」と言っているけれど、そんなに綺麗な物じゃ無いですよね。記事の最後に、県こども未来局(そんな部署があるんだ)のコメントとして、「子供の名前は親が熟慮した上で付けたもの。」と書いているけれど、これはどうだろうか。熟慮したと言うよりは、自分達の好みとか勢いで付けただけのような気がするんだけど。その子が物心ついてから、あるいは学校とか行き初めて知らない子ども達と集団生活をするようになった時に、自分の名前について受けるストレスってかなり大きくなるような気がする。

例えば自分達の世代の命名理由だと、使う漢字の意味を組み合わせて名付けることが多かったですよね。例えば「直樹」という名前だと、「正直で大樹のように真っ直ぐ堂々と成長して欲しい」とか、「由美」なら「自由で美しい女性になって欲しい」とか。でも、キラキラネームの場合は、感じは当て字出すら無い場合も多くて、多くはまず「読み方」を決めて、そこに何となくイメージするようなあるいはこじつけで漢字を当てはめているように感じます。だから、漢字を見ても読めないし、意味も分からないし。

「名前」という物が、その人を認識するラベルであると考えると、まずは誰からでも間違いなく認識される名前が1番良いはずですよね。一方で、別の人と重複しないような「唯一性・独創性」というものも重要になります。キラキラネームって、こっちを重視している気がするんですが、その度が過ぎてしまって独創的すぎて理解を超えているレベルになってしまっているような。そうなった場合、本来ならその人を認識すべきラベルが意味を成さなくなってしまったわけで、そうなると「名前」の意味を成さなくなります。キラキラネームじゃ無いけれど、例えば漢字は同じでも読み方が違う名字・名前って有ります。「金田」が「かねだ」なのか「かなだ」なのか、と。これも、一般的には「かねだ」と読む場合が多いだろうから、「かなだ」さんは日々ストレスを受けているんじゃないかと思うわけです。だからといって、「かねだ」に変えることも出来ないので困るんですが。

後は、男女の区別が付きにくい名前、例えば「真弓」とか「薫」とかも、本人を前にしないと困る場合がありますよね。だから、必ずしもキラキラネームだけが悪いわけじゃ無いけれど、でもあえて独創性を得るために取るリスクが余りに高すぎる状況を、本人(=子ども)の意思とは関係無く親が与える事って、ある意味虐待じゃ無いかという気もします。勿論、全ての名前は子どもの意思とは関係無く与えられる訳ですが、それが難読であるという更なるリスクまで与える必要が有るのか疑問です。アメリカ人みたく、本名よりはニックネームの方が一般的になれば、それはそれで良いかもしれないけれど。でも、公式の書類とか申請の時とか、やっぱり困ることが多いだろうなぁ。それこそ、国民層番号制度が実施されて、名前とは別に個別の識別IDが全員に付与される時代になれば、それをキーにシステムを構築すればいいから解決するんですけどね。そうか、キラキラネームのカウンターアクションとして、番号制度を取り入れれば良いのか。つまり、IPアドレスに対してのNaming Server、あるいはAliasがキラキラネームだと思えばいいのか。(マテ)

何かの記事で、人事担当者は採用の時にキラキラネームを避ける傾向があると読んだ記憶がありますが、確かにリスクを避けるためには、余計な要素は排斥しようという気持ちにはなるわなぁ。圧倒的な何か素質とか技術が有れば別だけど。

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