2013年4月19日

もう一つの米軍問題

産経新聞の記事から、もう一つの普天間基地の姿について。沖縄にとって米軍基地問題というものが大きな課題で有り、またイコール日本の問題でも有ることは理解するものの、だからといって何でもありというわけでは無いのが、近代社会のルールだと思うんですよね。そう言う意味で、沖縄でのいろいろな反米軍基地活動を見て感じる違和感の理由が、この記事に書かれているような気がします。以前、どこかの書き込みで、「平和なんちゃらとか、反なんとか団体とか、市民何とか言う名前の団体に限って、行動や行為が暴力的」みたいなものがあり、なるほどなと感心したんですが。

本当は、普天間問題にしても辺野古へ移設して、まずは近隣の安全が確保できるはずだったのが、政権交代をしてルーピー氏が思いつきで「県外」なんて言っちゃったものだから、結局当事者全てが賭け金を上げてしまい、下げられないような状態がずっと続いています。その責任は、それこそ万死に値するものだと思うし、本当にルーピー氏がそう思っているならば、引退した今でも沖縄に入って活動すべき(いゃ、実際にはそんな余計なことは誰もして欲しくないだろうけど)だと思うんですけどね。

沖縄の様子を見ていると、自分などはどうしても成田闘争の様子とオーバーラップします。成田の場合は、元々は十分な根回しをせずに強行した国に責任があるのだけれど、闘争を食い物にした各種勢力が終結してしまい、多分地元の意向とは全く違う方向に話がどんどんずれて行ってしまいました。今の沖縄の話も、それと同じような道を辿るような気がしますね。声の大きい人が勝とか、数が多い方が勝とか、そう言うことで全て決まるわけじゃ無いわけだし、それこそそう言うことを「力の正義」として批判している側が、そう言うことをやろうとしているのが皮肉でもあるし矛盾でもあると感じます。

沖縄のメディアの情報を見ていると、まるで日本語を話す別の国のような内容で驚くことが常ですが、今のインターネットの時代、それ以外の情報発信も沢山有ります。また、ネットリテラシーの要素の一つとして、全員が賛成・反対している情報は嘘というのがあるし、反対・賛成、両方の情報に接してソースと内容を確認し、最後は自分で判断するのが基本中の基本。そう言う意味では、これまでの沖縄発のメディア情報はあまりに偏っていたと思うし、やっと自分で判断出来る比較検討できる条件の入り口が出来たのかなと思いますね。

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