2011年9月6日

「ドラえもん」は「机器猫」

日本経済新聞のコラム記事から、中国の簡体字と日本の漢字との違いについて。仕事柄、日本語、中国語(簡体字)、台湾語(繁体字)、韓国語等との関わりがあるので、こういう記事にはちょっと興味が沸きます。一つ知らなかったのが、中国の簡体字は元々の繁体字をそのまま簡略化したもの(たとえば言偏を之繞みたいな形にするとか)と思っていたんですが、「音」が同じものの統一もしてたんですね。これって、韓国語を翻訳するときの問題でもあって、意味が違う複数の言葉でも一つの「音=同じ書き文字」で表現されてしまうので、前後の文意をちゃんと理解しないと、その語句が何を意味しているのか分からない。昔は韓国でも、ハングルと漢字混在の文章を使っていたけれど、今ではハングルだけになり、しかも漢字を使っていた語句もハングルで(音が同じものは同じハングルに)置き換えたので大変。

よく言えば、話し言葉をそのまま文字にしているようなもので、もちろん「会話」が成立するなら、こちらも成立するはずなんだけど、たとえば会話の場合には相手の表情だとか回りの様子とか、副次的な情報も一緒に得られるから、今何について話をしているのか判断も出来ますが、そういう情報が一切無いような場合には混乱することもあるでしょうね。日本語で言えば、全ての言葉を平仮名か片仮名で表記しているようなものですからね。

私は専門家ではないから間違っているかもしれないけれど、この手の単純化作業は確かに複雑なところを排除して分かりやすい、理解しやすいとは思うけれど、その分情報量は欠落するわけで、それを補うためには色々な修飾語とか補語のようなものを多分追加していかないといけないと思うんですよね。そうなると、単純化したはずの文字体系が、言葉とか言語体系のような上位の階層になると逆に冗長度がまして、データ量が増えたり混乱したりするような気がします。だから、いつも思うんですが、日本語と中国語(簡体字)は、確かにルーツは同じ「漢字」ではあるけれど、別物と思った方が良いのでは、と。言ってみれば、日本語とハングル位の違いがあると最初に理解した方がよいかも。逆に、日本語と台湾語(繁体字)は、それなりに近いというか、日本語の方が彼ら(=台湾)から見ると「簡体字」に見えるんでしょうけどね。「漢字」という共通項は存在しているけれど、決してそれが全てでは無いと言うことを、もう20年以上もそれらの国の人達と仕事を指定感じます。

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