2010年7月6日

カイゼン

日経BPの記事「便所掃除を徹底しても、生産性は上がらない」。非常に自分の思っていることに近くて、なるほどと納得出来る内容の記事。私が仕事をするようになった25年ほど前は、丁度日本でも「TQC(Total Quality Control)」とか「ゼロディフェクト」とか言われるようになっていた時期で、例えばトヨタのカンバン方式等が最高の生産性を生む「カイゼン」として広く紹介されていた時期でした。勿論、いろいろなプロセスや職種の人間が関わる開発だとか製造の現場では、スポーツにおけるルールのようものとして、それなりの手順やある程度の秩序(整理整頓)は必要と思うけれど、その後のカイゼン活動とかISOとかを経験していると、ちょっと行き過ぎている、あるいはカイゼンの為のカイゼン、みたいなちょっと変じゃないという感想も生まれてきています。

記事の後半にも書かれているけれど、結局日本の生産力の強みは、作業する一人一人の意識の高さ、能力の高さに尽きると思うんですよね。だから、それこそ箸の上げ下げまで指示するようなマニュアルが無くてもちゃんと製品は必要な品質を保持して生産されるし、管理者も四六時中部下のいっ挙止一等即を見ていなくても必要な作業はどんどん現場で進められていくので、より高度な判断や付加価値の高い作業に集中することが出来る。あるいは、そう言う仕組みの中で、現場、リーダー、管理者、と経験を積み重ねながらポジションを上げてくる人材も多く、そう言う人材が中心にさらに実情に反った意味のあるカイゼンが進められていく、という非常に効果的なループが、これまでの日本の製造・生産・開発にはあったように思います。

で、問題なのは、そういう「数字」にはでない部分がどんどん「効率化」の名の下に削除され、一番効率として数字に表れる「コスト」を単位とした体制にどんどん移行していったこと。言ってみれば、外注とかオフショアとかOEM/ODMとか、それはそれで非常に有効な方法や手段だとは思うけれど、自分が作っているはずの製品にどんどんブラックボックスが増えていくようになってしまい、結果的にこれまで以上に苦労することになるわけです。そう言う方法が悪いとは言わないけれど、本来日本が持っていた強み、個々の作業者のスキルを生かす方式が、多分日本人が一番苦手な統括的に管理していく方式になっていくわけで、これも日本の抱える悩みの一つなんじゃないかという気がしています。

エンジニア、特に機械系のエンジニアなら「あそび」を考慮してシステム設計する重要さはよく知っていると思うんですが、これからはそれに文字通りの「遊び=余裕」というような要素も入れていかないと、単にコストとスケジュールと故障率が採集になる事だけを目指した、大量消耗品みたいな製品しか生まれてこなくなるような気がしています。そう言うものって、有り余るリソースとか資源がある国が取るべき戦略であって、日本の場合は戦後何もない状態から這い上がってきたような、工夫と閃きの製品をもっと生み出さないと駄目だよなと、改めて実感する記事ですよね。

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