新聞やテレビ、雑誌など日本の報道の世界には、昔から「目的が手段を浄化する」という考えかたがあるのは事実です。「真っ当な取材手法だけでは巨悪を倒せない場合には、法に抵触する取材手法をとってでも事実を暴…
— 佐々木俊尚 新著「フラット登山」4/23発売! (@sasakitoshinao) April 1, 2025
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佐々木俊尚氏のmondから、最近富みに目に付く「メディアの暴走」、というか個人的には「メディアの独善」と感じる状況について。
私はその場面は見ていないのですが、先日の第三者委員会の会見でも、最初に発言した女性記者(フリージャーナリスト?)が、いきなり守秘義務に抵触する内容を質問しだしたらしい。司会者が制しても止めないためにマイクオフされ、それでも大声で質問というか自分の主張を続けるみたいな醜態があったらしいのですが、本当迷惑系YouTuberとかおさわがせ系YouTuberと言われる何が違うのか。質問なり相手の回答を引き出して批評する内容での勝負では無く、単に目立つことでPVなりインプレッションを増やすだけとしか思えない。
佐々木氏の回答を読んでいくと、私も聞いたことがある「西山事件」を例に出して、「目的が手段を浄化(正当化)する」事の危険性を説いていますが、これはメディアに限らずどんな企業やビジネスにも言えること。例えばある企業が凄い画期的な技術や製品を開発したとして、それによって生活が凄く豊かになるとしても、その製品製造に大量な汚染物質が廃棄されたり、使用していると有害な影響が生まれるような物ならば止め無ければならない。あるいは、戦争反対世界平和のためと目的を掲げながら、特定の企業を襲撃したりその会社の製品を破壊するような行為は、目的には何も貢献しないわけで、それは単に目立つことで自分達の主張を受け入れさせようとする示威行為なだけですよね。
一連の佐々木氏の回答を読んでいて感じたのは、この構図と言うのはフジテレビの中居氏への忖度というか、調査報告書でも指摘された様々なハラスメントを許容する要因にも成るんじゃ無いのだろうか。つまり「放送局として、より良い番組、より人気のある番組、視聴率の取れる番組作りをして社会に貢献する」という目標はそれなりに正しいと思う。でもその為に、著名タレントを占有するために、そのタレント中心のスケジュールや行動計画なり、そこに多少の無理が生まれてきても無視され、それがどんどん常態化していき、さらにはそういう規律の乱れがタレント以外の利害関係者(ステークスホルダー)に対しての忖度なり優遇になっていくという事では。実は「目的」自体が、「良い番組作り」という最初の目的から、「著名タレントの優越」みたいな似て非なる目的に変質して、それを維持するために手段も変質していることに気がつかないか、気がついても勝手に弁護して許容していくこと、メディアの独善同様、今回のハラスメント事件の実は隠れたでも本質的な原因な様な気もします。
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