「コロナ交付金7億3千万円が不適切 商品券の未活用など 検査院指摘」
朝日新聞に掲載された、コロナ交付金である「地方創生臨時交付金」に付いての見出しなんだけれど、ここだけ見た多くの人は「7億3千万円も不適切とは怪しからん」と思うでしょうね。でも、調査した「3兆4千億円余」に対しての「7億3千万円」な訳で、その割合は「0.02%」。これって、殆どの交付金は適切に執行されたと言って良いのでは。例えば、調査した交付金の一割近くが不適切に使用されていたと言うのなら、それは問題と感じるけれど、1%所か0.02%なんですからね。
朝日新聞側としては、「いゃ、7億3千万円が不適切であったことは事実」と言うんだろうけど、それは物事の本質を伝えていないというか、自分達の都合の良い方向に読者を誘導する意図的なものを感じるなぁ。勿論、公のお金の使い道なのだから、多少の無駄があっても良いとは言わないけれど、調査対象が3兆円以上あるのに、その中で判明した問題金額が7億円というのは、これは誤差の範囲というか、想定内の範囲と言って良いんじゃ無いだろうか。
仮に、もっと精度よく使用するべきと言うのであれば、どれだけの誤差なら彼らは許すのだろうか。そんなこと言い出したら、例えば新聞の発行部数なんて、押し紙行為があるから何%所か何割かは「発行部数」の数字に入っていても、実際には販売されていないものですよね。「発行部数何百万部」とか言って広告を取ってきたのに、その何割かは実は目に触れずに印刷所から裁断所に行くだけの紙面だとしたら、それって広告掲載料金の詐欺行為になるのでは。まぁ、「うちは、ちゃんと〇〇百万部『発行』しています。それを売るか売れ残るかは販売店の責任です」とでも言うんだろうけど。結局は、末端の販売店が泣いて大元の新聞社は左うちわという、ある意味搾取社会みたいなものが今のメディア業界の本質なんじゃないのか。
「針小棒大」という諺がありますが、そんな程度じゃ無いことを最近のメディアはやっている気がする。それって、有る程度までは「演出」とか「脚色」として、自社製品を売るための色づけと好意的に見ることは出来ても、限度を超えれば詐欺・虚報の類になるわけで、それがさらに酷くなれば最近話題の「カルト商法」にもなりかねない。ネットが普及して、色々な情報やデータが24時間365日身の回りをめぐる時代になり、メディアの役割としては、それら有象無象な情報のフィルターにならなきゃ行けないはず。所が、フィルターはフィルターでも「偏向(偏光?)フィルター」だったり、場合によってはそのフィルター後の情報に変なブースターを通して補強して拡散したりする。誤認や誤解を避けるために存在しているはずのメディアが自らそう言う方向に進もうとしているという事は、やはりこういったメディアの終末期が訪れているのだと思う。
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